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見返り美人は電話中 −メンフィス・ベルのノーズアート−

 アメイジンググレースという讃美歌がありますね。アメイジンググレースは「驚くべき恵み」という意味だそうですが、黒人教会の礼拝では必ず歌われているといいます。メロディがアイルランド風で心が落ち着くし親しみやすいので教会の外でも歌われあるいは演奏されています。1990年のアメリカ映画「メンフィス・ベル」でも使われました。


メンフィス・ベル
 第二次大戦中のアメリカ陸軍の重爆撃機ボーイングB-17F-10-BOフライングフォートレスにメンフィス・ベル(Memphis Belle)という名前が付いた有名な機体がありました。この名前は機長の交際相手がテネシー州メンフィスの女性だったことに由来するそうです。機長が副操縦士と一緒に観に行ったジョン・ウェイン主演の映画で主人公の船が「メンフィス・ベル」という名前だったのでそれを拝借したのだとか。それはともかく、映画「メンフィス・ベル」はこのB-17Fメンフィス・ベルが1943年5月17日に出撃した25回目の爆撃行を描いたものでした。25回目というのがここでは重要で25回の爆撃ミッションを果たすとクルーは任務を解かれ帰国が許されました。ノルマンディー上陸の一年余り前のことで、メンフィス・ベルはイギリスに駐留していたアメリカ陸軍航空軍第8空軍で最初に出撃25回を達成した機体でした。実機が今も大切に保存されています。

 映画の日本での公開は1991年でしたが韓国でも同じ年に公開されていて、当時韓国で日本語講師をしていたぼくはソウル中心部鍾路(チョンノ)のコアアートホールという劇場で観ました。そのときその劇場で売っていたハセガワ1/72B-17Fの映画バージョンのデカール入りキットを買いました。説明書が英語で書かれた海外向けのキットでした。上の写真はハセガワ1/72B-17Fメンフィス・ベルの映画バージョンで30年ほど前に作っています。下の画像は劇場でもらったパンフレットです。

 B-17Fメンフィス・ベルは日本の飛行機ファンにも昔からよく知られていました。それはプラ模型を通してだったかもしれません。アメリカのプラ模型メーカーレベル(Revell)が制作したメンフィス・ベルの1/72のキットを1960年代中ごろからグンゼ産業が日本国内で生産し販売しました。またそのころ模型を作るときよく参考にしたイギリスの航空書籍「PROFILE PUBLICATIONS」の「NUMBER 77 The Boeing B-17E&F Flying Fortress」ではカラー三面塗装図にメンフィス・ベルを取り上げていました。プラ模型にも専門書の塗装ガイドにもメンフィス・ベルが選ばれていたのはその戦歴もさることながら機首の左と右に「見返り美人」(上の写真参照)が描かれていたからだろうと思います。見返り美人はぼくが勝手にそう呼んでいるのですというのは、江戸時代前期の絵師菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の有名な「見返り美人図」に構図が似ているようだと個人的に思っているからで、普通は何と呼ばれているのか・・・、特に呼び名はないみたいです。下の画像は左がハセガワ1/72B-17F海外向けキットの説明書、右がプロファイルパブリケーションのB-17E&Fの表紙です。

ノーズアート メンフィス・ベルの場合
 メンフィス・ベルの見返り美人のように飛行機の胴体特に機首部分に描かれた絵を「ノーズアート」と呼んでいます。第二次大戦中のアメリカ陸軍機に多く見られましたが大概は若い女性の絵であられもない姿というのも珍しくありません。飛行兵は明日をも知れない命です、愛機にカワイ子ちゃんの絵を描いて元気を出そうというのか、男ばかりの軍隊では異性への配慮はあまり考えなかったのか、今ならセクハラの大合唱ですが、逃げ場も隠れ場もない孤独の空の戦場へ赴く者には慰めになったんでしょう。出撃時に、そろそろ行こうか、と話しかけて覚悟を決め、帰投してからは、今日も無事に戻って来られたぞ、とまた話しかけて神に感謝する、そんなところでしょうかね。編隊で飛行中は僚機に自分はここだと教える役目もあったのでしょう。下の写真は戦闘機のノーズアートの例です。カーチスP-40Nに描かれた「アイランドドリーム 南洋の小島に置き去りにされた美女」です。砂浜で立てひざつく女性の遥か向こうに二本のヤシの木が見え水平線に白いヨットが浮かんでいるのですが写真が小さくてよく見えませんね。キットはハセガワ1/72でノーズアートは手書きです。ずっと以前「SNOOPYの飛行機」に載せた写真です、記憶にないと思います。

 ノーズアートの中には良識を疑いたくなるような下品な絵もありましたが、メンフィス・ベルの見返り美人は感じの好いノーズアートの代表でした。見返り美人は電話をする娘のうしろ姿で、顔を横に向けこっちを振り返ろうとしているようにも見えます。顔がよく見えないのにどうして美人だとわかるのかって、どうして美人じゃないとわかるんですか。そんなことより見返り美人は機首の左右両側に同じ絵が左右対称にして描かれていました。しかしこれは珍しいことで普通はどちらか一方の側にだけ絵を描いています。同じ絵が左右対称でというのもなにかの意味があるのかもしれません。

ハセガワさんの知らないノーズアートフィギュア
 飛行機プラ模型の老舗ハセガワは近ごろフィギュアもいろいろ出していてその中にノーズアートのフィギュアもあります。1/20だからそんなに大きなものではありません、身長は手の中指ほどでしょう。今のところは2種類だけですがメンフィス・ベルの見返り美人はありません。それで、ノーズアートの三次元化とはなかなかおもしろいけどそれならメンフィス・ベルの見返り美人でしょ、と思ったから自分で作りました。"ハセガワさんの知らないノーズアートフィギュア"ですね。ではどうやって見返り美人を作ったのか。その前にアメイジンググレースです。映画「メンフィス・ベル」で使われたわけがちょっと気になっています。映画では出撃準備の場面でクルーがアメイジンググレースを歌いますが、それが事実ではない脚色だったとしたら・・・。

アメイジンググレースとダニー・ボーイ
 近ごろはアフリカ系アメリカ人なんて言っていますが、アメリカの黒人の祖先はアフリカで拉致されアメリカに連れて来られて奴隷として売られた人たちです。酷いことをしたもんですが人権無視と人種差別は国是でした。黒人は綿花畑で働かされましたが農園主は彼らを従順な奴隷にするためキリスト教徒にして礼拝や集会を許していました。そして彼ら黒人奴隷が礼拝で好んで歌った讃美歌がアメイジンググレースです。ところがこの讃美歌の歌詞を書いたのはだれあろう奴隷船の船長だったジョン・ニュートンという人でした。まさか、と思いますが事実です。ではなぜ黒人たちはそんなアメイジンググレースを好んで歌ったんでしょう。ジョン・ニュートンによるアメイジンググレースの歌詞は、
   驚くべき恵み なんという優しい響き
   こんな卑劣漢である私をも救ってくださいました
   かつて私は失われ そして今見いだされました
   かつて見えなかったものを今は見ることができます
というものです。アメイジンググレースは奴隷商人ジョン・ニュートンの回心から生まれた讃美歌で自身を「卑劣漢」と呼んでいました。「卑劣漢」は「wretch」ですが、ほかに「恥知らず」という意味があり、別に「哀れな人」「惨めな人」という意味もありました。黒人たちは「wretch」を「哀れな人」「惨めな人」の意味で歌っていたのでした。アフリカで拉致され連れて来られたアメリカで奴隷として売られ綿花畑で働かされている惨めな人です。
 歌詞はこういうことでしたがメロディがアイルランド風なのはどうしてかというと、18世紀に北東部のアパラチア地方に移住したスコットランド系アイルランド人の人たちがアイルランド民謡を基にした曲をアメイジンググレースに付けたのだといいます。それが南部の黒人にまで浸透したということのようです。でも黒人の歌い方はアフリカ的でやはり黒人音楽でした。
 南北戦争が北軍の勝利で終わり奴隷制度が崩壊すると解放された黒人たちによってテネシー州第二の都市メンフィスにもアメイジンググレースが伝わりました。やがて20世の半ばメンフィスでは多くの白人の若者が黒人音楽に魅了され黒人教会に足繁く通うようになります。その若者たちのなかにエルビス・プレスリーがいました。彼はアメイジンググレースを心から愛し彼が歌ったことでアメイジンググレースは世界中に広まりました。映画でアメイジンググレースが使われたのはメンフィス繋がりだったのかもしれません。
 しかし映画のテーマ曲はアメイジンググレースではなくダニー・ボーイでした。出撃前夜のダンスパーティーで飛行隊のジンクスを知らない広報担当の中佐がしくじってその場は気まずい雰囲気になりますが農場主の息子だったメンフィス・ベルの尾部機銃手が壇上に上がりダニー・ボーイを歌ってその場をつくろいました。またクルーに通信士でダニーというアイリッシュがひとりいました。アイルランドの詩人イェイツの詩を朗読するどこかクールな文学青年でクルーの中でただひとり高射砲弾の破片で重傷を負います。ダニー・ボーイがテーマ曲だったのは舞台がイギリスだったことと、この戦争映画が二十歳前後の若い航空兵の群像を描いた青春映画でもあったからでしょう。

見返り美人は映画バージョンで
 フィギュアは一から作ったのではもちろんありません。改造です。改造のベースとしたキットは機動戦士ガンダムに出てくるホワイトベースの指揮官ブライト・ノアのフィギュアでした。もう40年以上も前ですがバンダイから1/20でガンダムの登場人物のフィギュアが出ていました。買ったものの作らずにしまってあったんです。しかしブライトさんのキットは見返り美人とはポーズがまったく違います。そこで首と手足を関節のところで全部切り離し整形したあとで角度を調整して再び繋ぎ合わせました。電話の受話器はランナーを削って作り受話器から延びるコードはカタン糸です。ところで実機と映画のメンフィス・ベルとでは絵に違いがありました。見返り美人は機首の左にも右にも描いてあったと先に書きました。実機ではコスチュームの色は左右で異なり左が青で右は赤ですが映画はどちらも赤でした。それから映画ではロカビリーの髪型に赤いリボンを三つ付けていました。ぼくは左の見返り美人を作ったのですが着ているのは見ての通り赤です。映画バージョンにしました。作ったのはおととしでF-104JとT-33Aの「たまごひこーき」のすぐあとでした。つまりこれもウォーミングアップに作りました。それを今ごろになって書いているのは前回「たまごひこーき」の続編みたいな感覚です。写真はほぼ実物大です。

「哀れな人」それとも「卑劣漢」
 アメイジンググレースはクルーが離陸の準備をするシーンで使われました。ブリーフィングが終わると機長の運転するジープに10人のクルーが鈴なりになって乗り愛機までアメイジンググレースを合唱します。合唱の声が小さくなると軽快なマーチ風のインストルメンタルへと変わり何度か繰り返しながら次第にゆっくりしたテンポになっていき音も小さくなって全員が乗り込み配置が完了するとどこか寂しげにあるいは悲しげに曲は終わります。
アメイジンググレースの歌詞は、
   驚くべき恵み なんという優しい響き
   こんな卑劣漢(哀れな人)である私をも救ってくださいました
   かつて私は失われ そして今見いだされました
   かつて見えなかったものを今は見ることができます
というものでしたが、ぼくがソウルで観た映画は当然ながら字幕は韓国語で、今でも憶えていますが、アメイジンググレースは韓国で歌われている讃美歌の歌詞でした。日本語にすると、
   私のような罪びとを救ってくださいました
   主の恵みに驚き
   失った生命を見つけだし
   希望の光を見いだしました
となります。韓国の讃美歌では「wretch」を「罪びと」と歌っています。「哀れな人」ではなく「卑劣漢」の意味です。日本での公開ではどうだったんでしょう。ワーナー・ホーム・ビデオのDVDとNHKBSプレミアムで放送されたときの字幕はどちらも「wretch」を「哀れな人」と訳していました。日本語は「哀れな人」と「卑劣漢」では意味に大きな違いがあります。出撃に際してメンフィス・ベルのクルーはどっちの意味でアメイジンググレースを歌ったのでしょう。爆撃機が落とす爆弾は兵隊も民間人も区別することなくその頭の上に落ちます。爆撃機の搭乗員は自分たちの行う爆撃が不特定の多くの人たちの命を奪うことを知っています。自分たちに生きて帰れる保証がないことも承知です。彼らは自分たちを「哀れな人」と見たのか「卑劣漢」と見たのか・・・、いや、どっちかではなくて、ただ「wretch」だったんでしょう。英語圏の人はきっとそう解するんだと思います。「wretch」が「卑劣漢」という意味であり「哀れな人」という意味でもあるというのはそういうことなんでしょう。クルーがアメイジンググレースを歌ったのが本当のことなのか脚本の創作なのかは知りません。


 ぼくが見返り美人と勝手に呼んでいるB-17Fメンフィス・ベルのノーズアートのフィギュアをちょっと作ってみましたという話なんですが、映画バージョンで作ったので思いつくままに書いていたらフィギュアの話か映画の話かわからないようなことになってしまいました。最後はいつもの妄想で終わりたいと思います。見返り美人はどこのだれと電話しているんでしょう。掛けたとは限りません、掛かって来たのかもしれない。相手は機長、そうとも限らない。出撃の日の朝、左の見返り美人はクルー全員に電話を掛けています。そして午後、爆撃行から無事に戻って来たクルー全員から右の見返り美人に電話が掛かっています。というのはどうですか。そして電話の向こうで幽かにアメイジンググレースが聞こえ・・・。(2022年 8月29日 メキラ・シンエモン)



おまけ

B-17F MEMPHIS BELLE   B-24D STRAWBERRY BITCH
STRAWBERRY BITCHの改造ベースキットはガルマ・ザビ





模型制作と写真撮影:メキラ・シンエモン



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