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佐保路シリーズII

不退寺 業平とリボン観音と五大明王と

 名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

いきなりですが、ご存知、伊勢物語第九段「東下り」の都鳥の歌です。古今和歌集にも同じ歌(巻第九羇旅歌411)が載っていて作者は在原業平(ありわらのなりひら)です。歌の意味は、

都という名前なんだって、すごいね、都のことをなんでもよく知っていそうだ、じゃあひとつ尋ねてみようかな都鳥くんに、実はぼくが大切に想う人を都に残して来ちゃったんだけど、元気でいるのかなそれとも・・・そうじゃない

というのはどうですか、言葉が軽すぎましたか、これじゃ舟こぞりて泣きにくい・・・と。まあそう言わないでください、ぼくは工学部機械工学科の出ですよ、古文の基礎もなければ和歌の素養もない。とにかくだれが読んでも無難でわかりやすい歌なので古典の教科書に載っていました。都鳥というのはユリカモメのことだといいますが、冬に金沢でも見られます。それも街中、ひがし茶屋街のそばの浅野川に架かる橋の上を群れ飛んでいます。高校生のころ学校帰りに見かけては、これなむ都鳥、と小さくつぶやいていました。(写真は2018年1月2日)

 ぼくらが佐保路仏像巡りPART2で一番目に訪れた不退寺は平安時代の典型的な貴族知識人と言われている在原業平が住んだ邸宅でした。


在原業平
 在原業平は平城天皇の第一皇子阿保親王の第五子で母親は桓武天皇の皇女伊登内親王です。平城天皇は桓武天皇の第一皇子だから業平は桓武天皇の曾孫にあたります。すごい血統ですが、おじいさんがこけてしまったので政治家としては揮わずというか不遇でした。そういうこともあってか、業平といえば百人一首と古今和歌集の歌人として、あるいは伊勢物語の主人公として知られ、そのイメージは色男、というのが一般的な認識です。業平の名前は知っていても古今集や伊勢物語を読んでいない人までそう思っているんだからすごい知名度というか、ある意味業平も気の毒。ぼくのなかでは・・・やはり歌人でしょうかね。

 古今集に載る業平の歌は全部で30首、その大部分が伊勢物語にも出てきます。そのなかで教科書に載せられるような健全な歌は先に挙げた都鳥の歌と、世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし(伊勢物語は第八十二段 古今集は巻第一春歌上53)、くらいです。この歌も当り障りなくわかりやすい歌ですが、ちょっとカッコつけてやしませんか、という感じがしないでもありません。そんなら桜のない国に行けばいい、桜は別にあなたのために咲くんじゃないよ・・・、とつい言いたくなります。ぼくは桜餅が大好きなんです。
 一方で、伊勢物語というネーミングの基となったといわれるエピソードの歌(伊勢物語は第六十九段 古今集は巻第十三恋歌三646)は教科書には絶対に載らないでしょう。伊勢斎宮の内親王との恋というとんでもないスキャンダル、いや絶対あり得ない話です。それから、月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして(伊勢物語は第4段 古今集は巻第十五恋歌五747)、というこれもよく知られている歌があります。意味は、月も春も昔とは違うみたいだ自分は違わないのに、というのですが・・・、話の中身を知らないとその解釈は困難。内容を簡単に言うと、ぼくがこっそり付き合っていた子が手の届かないところへ行っちゃった、次の年の春になってその子がいた家に行ってみたけどからっぽでなにもない、あのころが恋しくてそのままそこで夜明けまで泣きべそをかいていた、という話です。情けないとしか言いようがないのですが、つまり、ぼくにはもうあの子がいないから月も春も去年とは違うように感じるということなのに、世の中は変わってしまったがぼくは元のままのぼくだと歌に詠んだというんです。まあどこまで本当のことか伊勢物語は物語、フィクションですが、業平という人はちょっと複雑な人だったみたいです。

 ところで、ここまで書いておいてなんですが、ぼくはまえに「泉鏡花の源氏香」で書いたように源氏物語さえ読むのはちょっと・・・というほうだから「伊勢物語」は逆立ちしても熱心に読むのは無理です。古今集だってちゃんと読んだことはありません。ではどうやってこれを書いたのかと言うと、前々から知っていたことを講談社学術文庫の「古今和歌集 全訳注 久曾神昇」を参考にして補強し、いつものように思いつくままに書きました。と告白しておきます。

不退寺
 不退寺の創建は在原業平で、祖父の平城天皇と父の阿保親王の菩提を弔うために発願し、その邸宅を寺に改めたのでした。21歳の時だったとも30歳ぐらいだったとも言われているようです。不退寺は略称で正しくは不退転法輪寺といいます。業平自身の命名ですが衆生救済のため法輪を転じて退かずという意味だそうです。民衆の教化を第一に掲げるというんでしょうか、業平にそういう気持ちがあったということでしょうね。
 寺とした邸宅に業平が住む前は父の阿保親王が住みさらにその前は祖父の平城天皇が譲位したあと上皇となって住んでいました。平城天皇は平安京に遷都した桓武天皇の長男ですが病気がちでちょっと軟弱なところがあったみたいで、平城京が懐かしくてたまらず弟(嵯峨天皇)に譲位して奈良に仮の御所を造って住みました。「萱の御所」と呼ばれていたそうです。つまり、その御所が不退寺になったということです。そう聞くと池もあってなんとなくそんな気分を残しているような・・・。
 多くの古刹の例に漏れず時代とともに衰退してしまいますが、西大寺の叡尊の援助を得て復興し真言律宗の寺となりました。現在の本堂は室町時代の再建で鎌倉時代の様式を残すそうです。ほかに多宝塔がありますが上層がなくなっているので普通のお堂のように見えます。この多宝塔の前に池があって、この日は黄菖蒲がまばらに咲いていました。

老住職
 ぼくらは近鉄新大宮駅を北口から出てそのまままっすぐ北へ歩きます。すぐにセブンイレブンを見つけてペットボトルの水を買いました。夏日になるという天気予報は外れて薄曇で気温はそれほど上がらない様子ですが、それでも一日歩くとなれば水分補給は重要です。体がまだ暑さに慣れていません。ついでにぼくはチョコパイの2個入りを買いました。おやつのつもりです。ミキオ君はガムを買って店の中からもうクチャクチャやっていました。
 信号をいくつか過ぎて一条通りに出たら反対側へ渡って右へ少し行ったところで左へ曲がりその先のJR関西線の踏切を渡ります。しばらく行くと道幅が狭くなって両側が茂みです。そこを通り抜けると不退寺で、大きくはないものの、えっ、と思うような立派な門がありました。南門です。向かって左に「業平忌 5月28日」の看板が出してあります。そして右側には赤い自転車、いわゆるママチャリが停めてありました。ミキオ君が、自転車がないといいのに、とつぶやきます。確かにこの門とは釣り合いません。

茂みを抜けると不退寺の南門が

 門を入ると正面に本堂が見えています。で、拝観受付は・・・すぐ左にありましたが、でも閉まっています。それがもうずっと前から閉まっている感じです。どうすればいいのかと見渡すと境内はちょっと荒れています。不退寺は花の寺というのが売りで四季の花が植えられているのですが、レンギョウは終わりツツジも終わってアジサイはまだだからあまりきれいにしていないのかなぁと思っていると塔婆らしい板に貼紙して「受付」と書いて立ててあります。矢印は左を差していました。貼紙に従って左へ行くと住居です。お寺だから庫裡と言うべきですが、開け放した入口はどう見ても普通の家でした。外で作務衣姿のけっこうな年のおじいさんがなにかしていて、そばには車輪にブレーキの付いた屋外用歩行器が置いてあります。中に入るとそこにいたのは年配の女性でした。拝観受付といって別にそれらしい場所はなく女性に拝観料を払ってパンフレットをもらいます。愛想のいい人でした。

こんにちは。
こんにちは、おひとり。
ふたりです。
はい、ひとり600円、ふたりで1200円です、高いでしょう。
いえ、近ごろはどこでもこんなもんですよ。
よいときにおいでです、ついこないだ明王さんが修理から戻ってきたところなんです。
ああ五大明王ですね、奈良では珍しい。
今度はもうすぐご本尊が展覧会に行くんですよ。
観音様ですね、リボン観音。
よくご存じですね。
そうか、来る日が少しずれていたら片方だけしか観られなかったのか、運がよかった。
そうですよ、ちょうどどちらも観られるときに来られたんですよ、こちらから本堂へ行ってください、こっちが近いです、住職が戸を開けて待っています、人が来たときだけ開けているんです、早く行かないと年だから気が短いので・・・。

不退寺の本堂

 外へ出ると作務衣のおじいさんは消えていました。実はこのおじいさんが住職さんです。去年か一昨年テレビで見たことがあったんです。「東大寺二月堂お水取り」の回でちょっと触れたBS-TBSの「奈良ふしぎ旅図鑑」という番組です。気難しそうな顔をしてちょっとろれつがあやしい口で寺の縁起や業平自作のご本尊、本堂の業平格子をとても誇らしげに解説していました。数年前の収録でした。
 急ぎ足で本堂へ行くと戸が開いていますが外にはだれもいません。そして石段の前にはあの歩行器です。住職さんは足が悪いようでした。石段を上がり板敷で靴を脱いで中へ入ると住職さんがこっちを見ることもなく柱に寄りかかって座っています。どう言えばいいのかと思って、お邪魔します、と言ってみても無言でじっとしたままでした。なんだか緊張します。出るときに、ありがとうございました、と言いましたがこのときは、ああ、と返事があったような気がします。テレビで見たときよりだいぶ年を取られた感じでした。ひとりで生活しているのだとすると、それはちょっとしんどそうだから受付の女性は手伝いに来ている住職さんの娘さんかもしれません。近くに住んでいるんでしょう。門のところにあった自転車に乗って来ているんだと思います。それで受付が庫裡になっているんでしょう。

リボン観音と五大明王
 ご本尊は厨子に収まった2メートルほどの大きな聖観音菩薩立像です。桂の一木造り。近ごろリボン観音という愛称がついたみたいです。これも「奈良ふしぎ旅図鑑」で知りましたが、そんな愛称がついたのは頭の左右に長いリボンを着けているからです。リボンは実は冠の飾りで布を結んで胸まで垂らしている(もちろん彫刻で表現しています)のですが結び目が大きくて、ちょと見はリボンを結んでいるように見えるのです。この観音様は業平の自作と言われています。住職さんは固く信じているようですがそんなわけはなく、いや、はじめは業平自作の観音像が安置されていたのかもしれませんが、でもこの観音像は違います。彫刻の様式は業平より少し後の平安中期藤原時代です。どちらかというと面長で大きな目はちょっと虚ろ、胡粉を塗って彩色してありますがおおかた剥げているので色は白く、全体に肉付きがよくてウエストはくびれています。それにしても観音様の冠に布を結んでいるのは珍しいでしょう。

 ご本尊の左右の間には五大明王像が安置されています。密教の代表仏だから真言律宗になってから安置されたのは間違いありません。5体だから左右に別けると片方は1体少なくてバランスがわるいからというわけでもないんでしょうけど向かって左の間に地蔵菩薩立像が置かれていました。明王像は檜の寄木造りで高さ1.5メートルほどだからやや小柄な印象です。不動明王はほかの4体とは作風が異なっていますが、5体とも忿怒の形相はどちらかというと穏やかで、なかでも軍荼利明王はちょっとかわいい感じでした。


 不退寺の仏様たちは奈良のほかのお寺の仏様たちとはちょっと違った雰囲気の個性派でした。それはやはりここが業平の寺だから・・・。(2022年5月30日メキラ・シンエモン)

次は般若寺へ行きます。


写真:メキラ・シンエモン


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