参 考

ファーブル昆虫記

 ファーブル(フランス人、1823−1915)が「昆虫記」(全10巻、1879−1910)で取り上げている虫は、ちょっと普通には目立たない、どうかすると退屈な虫が多くて、美しい蝶やカブトムシのような誰で知っている虫は出てきません。スカラベなどのタマオシコガネ、オトシブミ、ベッコウバチ、ゾウムシ、ハンミョウなどで、クモやサソリまで出てきます。しかし、これらの虫の生態は非常に変っていて、それをファーブルが独自の観察方法でなぞを解いていくところは、推理小説を読むようでたいへん面白いものです。
 ファーブルは「種の起源」のダーウィン(1809−1882)と同時代の人ですが、進化論とは別の立場を取っていました。生き物の行動を良く見ていれば、そこに偶然なんて存在しない、まして、その積み重ねで今ある生物に進化したなどありえない、と考えていたようです。また、ファーブルは、虫が状況を判断するなど思考によって行動しているとは考えませんでした。何かによって最初から決められている手順を、ただ順序どおりに実行しているだけだということを、観察と実験で証明してみせます。
 しかし、ファーブルとダーウィンの間には交流があり、ダーウィンは低姿勢でファーブルに接していたことが「昆虫記」からうかがえます。けだし、当時、ファーブルを最も評価していた生物学者はダーウィンではなかったかと思えます。
 「昆虫記」には虫そのものの話ばかりでなく、自然や生き物と向き合う姿勢、研究の方法などについてのファーブル自身の主張も語られています。全体にギリシャローマの神話、古典、聖書からフランスの民話に至るまでの引用が沢山あり、情景描写などは詩のような書き方をしてあります。また、「昆虫記」はファーブルの自伝的な側面もありますが、ところどころ権威に反発するような記述もあって、ファーブルは、同業の仲間などからは決してよくは思われていなかったことが分かります。たいへんな教養人で博学だったファーブルは、信念の人でしたが、その分、世の中を辛く生きていくようにできていた人だったようにも思えます。
 ところで、ファーブルの「昆虫記」は昆虫学者には不人気だそうです。どう見ても研究書の体裁ではないし、手厳しくほかの学者の批判をしていたり、先にも書いたように虫のことばかりでなく、俗世間のことも書いていますから、それがたとえ正しいことを書いていたとしても、人によっては要らぬことを書いている、と思ってしまうでしょう。恐らく、専門家にはカチンと来るところがあるのでしょう。しかし、幸いなことに、専門家でもなく、学者でもなく、教養もなく、昆虫に詳しいわけでもない、ただの虫好きには面白い本です。


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