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彼岸の入りの断腸花と墨東綺譚

 8月5日にアップした「ラジオ爺さん −老人とCOVID-19ー」を読んで、ははーん、永井荷風だね、と思った人は・・・きっといなかったと思います。ぼくはいつだったかもう随分前に「墨東綺譚」を読んでいますが、それと「ラジオ爺さん」はまったく関係ありません。今年初めての断腸花の桜貝のような淡いピンクの蕾をウオーキング途中の野田山で見つけたのは8月の半ばごろで、そのとき「墨東綺譚」が頭に浮かんだのですがそれはこれまでになかったことだったし、その時はもう「ラジオ爺さん −老人とCOVID-19ー」をサーバーに転送したあとだったから、ラジオ爺さんと永井荷風にはなんのつながりもないのです。「墨東綺譚」は別号を断腸亭といった永井荷風の小説で、老作家の主人公は隣家のラジオがうるさくて夕方から散歩に出た隅田川東岸の私娼窟である日夕立に遭い傘を貸して偶然知り合った女性としかし相手が誤解するままに素性は隠して・・・という話です。念のため。

断腸花 雄花の蕾  2020年9月19日
断腸花 横向きに咲く雄花と下向きに咲く雌花 2020年10月9日


 断腸花(だんちょうか)は中国原産で江戸時代に日本へ入ってきたという、日陰の湿ったところを好んで生える多年草です。どちらもピンク色をした雄花と雌花があってまず雄花が咲き一月ほども遅れて雌花が咲きます。花は夏の終わりから咲きはじめ秋が深まりはじめる前には終わっています。ぼくの住んでいる辺りでもこのごろ知らない家の日の当たらない庭に雄花の咲いているのを垣根越しに見かけます。永井荷風はなんでも腸に病気を持っていたから断腸亭(だんちょうてい)と名乗ったそうですが自宅の庭に断腸花を植えていたといいます。見るたびに病気が意識されて症状が進行したりはしなかったのでしょうか。
 それにしても断腸というのは耐え難い苦しみを表すときに、断腸の思いで、などと言って使う言葉だから、断腸花とはまたずいぶんな名前が付いたもんですが、こんな名前になった謂れははっきりしないらしく(空想としか思えない俗説はあります)、植物図鑑にも断腸花の名前は出ていない代わりにシュウカイドウという名前で載っています。正式名の方がもっと解りづらいと思ったら中国名の秋海棠をそのまま音読みしたそうです。棠は梨のことで海棠は海の向こうからきた梨の意味だというのですが、それなら中国で海の向こうというとどこのことでしょう。それはともかく「墨東綺譚」では断腸花を秋海棠と図鑑名で書いていました。断腸花では小説の気分が壊れていたかもしれません。

断腸花 雄花  2021年9月18日
断腸花  雌花  2020年10月9日


 「墨東綺譚(ぼくとうきだん)」なんていう小説をぼくが読んだことがあるのは、名前だけしか知らない永井荷風(ながいかふう)とはどんなことを書く作家かと、その時ふと思ったからですが、それが、ぼくはああいった世界にはまったく馴染みのない人間だから、いや今時そういう世界があるはずもないのですが、似たような世界が今もあったとしてもあるいは仮にその時代にぼくが生きていたとしてもやはり縁のない人間だったから、それなら少し読んで放り出すはずが、自分がそこにいるような気にさせる情景描写につられて読んでいくうちに、その雰囲気に感じ入ってしまったのか最後まで読んでいました。でもその記憶はとうの昔にあやふやだったから、このページを書くにあたり読み返してみればあのときの気分は蘇りますが、読み終わったあとぼくはその気分のまま墨東の夕日のなかにひとりポツンと取り残されたような気がしました。それは哀愁というのとはちがう、悲哀というのでもない、どうにもならない人生を生きる強さゆえの哀しみと切なさ。それはなにかの拍子に世の中が完全に狂いでもしない限り決してぼくには訪れることのない、だから物語でしか知り得ないだろう、やるせなさでした。

 明日あたりから秋のお彼岸に入ります。そろそろ断腸花の雌花も蕾が日陰で開きはじめます。(2021年9月19日 メキラ・シンエモン) 

写真はすべて野田山で。



写真:メキラ・シンエモン



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