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南無観自在 南無観 ―東大寺二月堂お水取りとCOVID-19―

 ウィズコロナという言葉は、したり顔で使っている人がよくいますが、これは和製英語だそうで、正しい英語はcoexisting with the coronavirusというんだそうです。どう発音するんでしょうね。ちなみにコロナ禍はcoronavirus crisisとなるみたいです。知ってみたところで感染予防にはなんの役にも立ちませんが・・・。


知らぬが仏
 前々回アップした「ラジオ爺さん ―老人とCOVID-19―」のページに、COVID-19対策の頼みの綱だとみんなが期待するワクチンは供給不足に陥っていて一向に接種率が上がらないと書いてから3週間余りですが、その打開策として"背に腹は代えられない"ならぬ"血栓に肺炎は代えられない"ということなのかアストラゼネカのワクチンの接種を始めたというニュースを先日聞いたと思ったら、今度はモデルナのワクチンに異物混入の報道です。ぼくはかかりつけ医で打っていてファイザーでしたが、女房は職域接種でモデルナだったから大急ぎでロットナンバーを確認して、ああ違っていた良かった、と夫婦でホッとしました。これからワクチンを打つ人は不安ですね。しかしモデルナにしろファイザーにしろすでに打っているぼくらは"知らぬが仏"なのかもしれません。

抽選
 東京都で若者対象に予約の要らない先着順のワクチン接種を始めた初日のきのう、真夜中から大勢が並ぶなどして想定の200人を大幅に超える若者が押し寄せて大混乱だったようです。若者はワクチンを打ちたがらないと言われていましたが、本当はみんな接種したかったみたいです。それなら、予約なしですぐに打ってくれるとなれば、そりゃみんなこぞって行くでしょう。どこかで予約してあってもそれがうんと先のことならここで打って予約はあとで取り消すと考える人が大勢いても不思議はありません。結局翌日からは先着順は止めて予約の要らない抽選制にと切り替えたのですが、それなら予約制とたいして変わらないし確実性のない会場に足を運べというんだから気持ちは萎える・・・だろうと思ったら、それがどうしてどうして初日を大きく上回る長蛇の列ができたそうです。抽選になったけど予約が要らないのは同じで早くから並ぶ必要がないんだからきのうよりいいかもしれない接種できるかもしれないんだから、という思いだったんでしょう。この感染状況です、若者もできるだけ早く接種したいという気持ちは同じでした。厳しい残暑の中を多くの若者が汗を拭きふき、これじゃここで感染しちゃうよ、と不安を感じながら並んだその列の長さは最長で1キロ弱、その抽選倍率6倍超だったというのだから、苦労の甲斐なく打ってもらえなかった人はさぞ残念だったでしょう。いや、そうじゃないですね、そんなことじゃない。命にかかわるかもしれないことだから、その程度の気持ではなかったはずです。
 こうしてこの東京都の予約不要の集団接種でわかったことは、若者のワクチン接種への意識が低いというのは違っていて、実際は予約が取れなかった、いや、接種が後回しにされていたということでした。若者は感染しにくく重症化もしないと言われていましたからね。でも今は違う。まるでウイルスは老人がなかなか感染しなくなったのを見て標的を若者に変えたかのようです。若者はワクチンを避けているんじゃなくて打ちたくても打たせてもらえないというのが本当のところでしたが、それならなぜ声を上げなかったのか。どうせ言っても大人は聞いてくれないから、ということだったんじゃないのかなという気がします。

人流
 きのう27日の金曜から緊急事態宣言、蔓延防止等重点措置ともに対象道府県が大幅に増え、それを赤と橙で色分けしたまるで秋の全国紅葉マップのようになった日本列島の地図がテレビのニュースに映し出されていました。もう日本中どこにも安全なところはないね、とだれもが思ったことでしょう。感染拡大防止にもっとも有効とされているのは人との接触をできる限り避けることですが、人出は一向に抑えられておらず、感染そして重症化がもっとも多いとされる40代から50代で特にそれが顕著だといいます。分別ある世代のはずですが・・・。
 ところで、COVID-19対策の中心にいて重要な役割を担っている人たちが人流という言葉を使っているのをテレビでよく見ます。以前は聞いたことも見たこともなかったこの人流という言葉は「人の、移動を伴う一連の動静。また、人々の流動や動線。」という意味だそうですが、なんのことだかよくわからない上に、どこか物流を連想させて人を物扱いしているとしか思えないし、なんだか人を見下しているような雰囲気すら漂う嫌な言葉です。意味がよく伝わらないだけでなく発音しづらく字面にもセンスがなくておよそ日本語らしくありません。一言で言えば品のない言葉。いったいどこのだれが最初に人流なんて言い出したのか知りませんが、人流が抑制できないと言う時、ようするに街に出ている人の数が多すぎると言いたいのだから、素直に"人出"を使えばいいんです。こんなおかしな言葉を重要な立場の人たちが使うんだから、なるほど、大切なことが人々の心に伝わらないわけです。

野戦病院
 感染しても病院に入れてもらえない自宅療養者の増加が深刻です。石川県にも200人ほどの自宅療養者がいて、でもみんな事情がある人か希望者なんですが、首都圏などでは本人も家族も病院の先生も保健所の人も救急隊員もだれひとり望まないのに自宅療養になっている人が大勢います。病床が危機的に不足しているからですが、入院できたらそれはもう全くの偶然、つまり病院での治療は運を天にまかせた順番待ちです。待ちきれなかった気の毒な人が何人も出ていて、身内の人は納得できないでいるでしょう。それなのに街の人出が目立って減らないのはなぜなんでしょう、軽く考えているのか、そんなわけないのならなにかよほど深い理由があるんでしょうか。あるいは・・・、わたしだっていけねぇことだってことぐらいはわかっているんですよ、でもねぇわたしが仕事に出て行かなきゃ家族全員おまんまの食い上げだ、わたしだけコロナで死ぬほうがまだマシというもの、それに患っても必ず死ぬとは限らねぇ、テレワークなんかじゃできねぇ仕事も多いのさ、他人様への迷惑・・・それは・・・申し訳ねぇ、・・・というようなことなのかもしれません。だとしたら覚悟の上ということになり、これはこれで悲惨なことです。
 とにかく少しでも自宅療養をなくする必要があるというので、野戦病院、つまり自宅療養よりいくぶんマシな応急処置が受けられる仮設の病院を作ろう(福井県にはもうあるそうですが)という動きが出てきています。でも、全国の自宅療養者はすでに11万人を超え東京では2万5千人以上ですよ、気が遠くなりますが野戦病院ができるのを辛抱強く待つんでしょうね、外国なら暴動もんですが・・・。

ハリガネムシ
 COVID-19は、感染源はおまえのとこだろ、初動が遅かったんじゃないのか、などと一時期盛んだった責任の追及となすり合いに、今はだれも構ってはいられない(今日のニュースでバイデンが中国は隠し事をしていると腹を立てていました)ほどの世界的歴史的大惨事になっていますが、感染拡大防止の上での一番の障害はなにか、言い換えると対策の難しさの原因はなにかということですが、それはSARS-Cov-2の巧みな感染形態ということになるだろうと思います。このウイルスは人の細胞に取り付いて増殖をはじめても取り付かれた人がすぐに気付かないように長いときは2週間も免疫細胞をおとなしくさせておくというしたたかなやり方を知っていました。
 そんな利口なウイルスへの人類がとれる対抗手段は今のところワクチン接種以外にはありません。だからmRNAワクチンが5年後10年後に人体にどんな影響を及ぼすのかなどと心配している場合ではないのです。(ワクチンの専門家は影響ないと思われると言っています。)ところが、ワクチン接種は個人の自由だ、強制するなと叫んで気勢を上げている連中が世界中にいて、特に自由主義の国に多いようです。自由にものが言えるから当然ですか、違うでしょう、それはわがまま以外のなにものでもない完全に間違った自由の主張です。アメリカにも多いようですが、それならアメリカの自由の精神というのも底が知れた軽薄なものだったということです。独裁主義や原理主義にやられっぱなしなわけだ。あるいは、ひょっとしてワクチン拒否者はもう感染していてウイルスにその言動まで完全に支配されているのかもしれません。ハリガネムシに寄生されたカマキリみたいなもんですね・・・、とまで言えばいつものぼくの妄想あるいは今回はむしろ暴走・・・。

照準
 アメリカ人だろうが中国人だろうがロシア人だろうが、世界人類を例外なくすべて照準に捉えていているのがSARS-Cov-2というウイルスです。特に自分だけ良ければよいという精神の持ち主を好んで狙っているように、なんとなく見えます。直接狙われなくてもそのとばっちりを受けて感染した人、たとえばお人好しの人など、もたくさんいるに違いないから、感染者はみんながみんなSARS-Cov-2に狙われた人だというのではありません。大部分はお人好しの部類だろうと思います。

サイエンスZERO
 ああ、今回も「通りがかり」らしくない記事です。しかも長々と書きすぎました。が、この話題もうちょっと続けます。この前の日曜日、22日ですが、Eテレの番組「サイエンスZERO」はCOVID-19のワクチンについての解説でした。それがとてもよくできていてこれまでテレビで見聞きした新型コロナウイルスワクチンに関する説明の中での最良でした。インフルエンザワクチンとの違いや人体への長期的影響など、ぼくらが知りたいと思っていることにスッキリ答えてくれていました。ワクチン接種に躊躇している人はこれを見れば絶対気が変わることでしょう。ただ、ある程度の理化学的知識がないとどうしてそうなのかということがよくわからないかもしれません。と言うのも、この番組の内容は自然科学の広範囲にわたっていますが一般向けとも言えないところがあって、視聴に当たっては中学で習う理科程度の知識ではあるいはちょっと不足かもしれず、高校で使う理科科目(化学、物理、地学、生物)の教科書程度の知識があれば理解に申し分ないと思われるからです。司会に出ている女の子は、タレントか女優なんだと思いますが、リアクションやコメントなど当を得ていてなかなかどうしてたいしたもんです。ちなみにいつか雨に濡れた蜘蛛の巣について書いた記事も「サイエンスZERO」がきっかけでした。

断腸花
 表題はお水取りになっているのにコロナの話ばっかりでちっともお水取りが出てきませんが、実は、紫陽花が終わって断腸花が咲き始めたからそのことでも書こうかと思っていたのが、COVID-19に絡んで東大寺二月堂の修二会が頭に浮かんでしまい、こっちにしようとテーマを変更したついでに前々回の続きをちょっとだけ書きました。ちょっとだけですか、随分と長いちょっとだけでしたね。断腸花をなんと読むかなんて知りません。そんなことよりお水取りはどうなったんですか。

お水取り
 東大寺二月堂の修二会、お水取りと呼ばれることが多いこの仏教儀式というより"行"は疫病に深く関係しています。お水取りはいまから1270年も前の奈良時代、大仏開眼の年(752年)にはじめておこなわれてから途切れることなく毎年続いていて、平家の南都焼き討ちにも明治維新の廃仏毀釈にも先の戦争にも一度も中止されることがなかったといいます。まさに世界宗教史上の奇跡です。お水取りと言えば、3月はじめの夜、二月堂の張り出し縁を大松明が火の粉をまき散らして走り、その火の粉を浴びようとお堂の下に群がる大勢の人の姿が数秒間映るテレビのニュースがすぐ頭に浮かびます。毎年のことですが、あれは何をやっているのか、とはあまり思わないかもしれません。お寺や神社の奇体な行事など日本各地に掃いて捨てるほどあるから、さすが東大寺ともなるとやることは大掛かりだ、と思って終わりです。それが今年はちょっと、いや、おおいに違いました。テレビが前後合わせて4時間以上も修二会の実況生中継をやってのけたんです。そんなことするのはそしてできるのはもちろんNHKですが、それだけで終わらせず後日、修二会の楽屋話みたいな番組をふたつも放送していました。こんなことはこれまでになかったしこれからもないでしょう。今年は特別でした。


 ここからが本題なんですが、この先はページを改めます。長くなったからちょっと休憩です。あなたもここまで付き合ってきてさぞお疲れでしょう。(2021年8月28日 メキラ・シンエモン)




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