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おにぎり2個 PLATOON LEADER 後編

 F-4EJに搭載のエンジンはジェネラル・エレクトリックJ79-GE-17という推力可変アフターバーナー付き軸流式ターボジェットエンジンでF-4を運用する西側各国はライセンス生産をおこなったが日本では石川島播磨重工業が生産したのでJ79-IHI-17と呼んでいた。ちなみにマグダネル・ダグラスF-4ファントムIIはライセンス生産も含めて5000機以上が生産されたが最終号機は三菱重工が生産した最後の機体で306飛行隊の440号機だった。この世界中で一番新しいファントムを部隊では獅子丸(ししまる)と呼んでいた。ひとつ前の439号機はどこの飛行隊だったかは忘れたが与作(よさく)と呼ばれていたらしい。

 エンジンの故障はもしそれが飛行中に起きたなら大変なことになるからエンジンの異常をできるだけ早期に発見する必要があった。そこで飛行を終えるたびにエンジンを切ってから圧縮機の羽根が完全に止まるまでの時間、停止時間を測った。F-4ではエンジンは切る前にクーリングすなわち排気温度が最も低くなる回転数で3分間運転してある程度冷ましてからスロットルレバーをOFFにしたが圧縮機の羽根はそのまま惰性で回り続けだんだん回転が遅くなってやがて自然に止まる。羽根が止まるまでの時間が通常より短ければ軸、圧縮機、タービンのどこかになんらかの異常がある可能性があった。ちなみに圧縮機の羽根が止まるまでの時間を測るのはパイロットで整備員が協力した。その方法は極めて視覚的かつ直接的だった。パイロットはエンジンを切るとき整備員に合図する。F-4は空気取り入れ口から中をのぞくと圧縮機の羽根が見えたので整備員は回転する羽根を見ていて止まると大声でストップと叫ぶと同時にコクピットの側面を思いっきり掌でたたいてパイロットに知らせた。また定期的に潤滑油のサンプルを採取し中に含まれている微小の金属粉を調べるソープ(SOAP:Spectrometric Oil Analysis Program)という分光分析検査をおこなった。検出された金属の種類でどの部位に摩耗があるのかがわかった。停止時間、ソープに異常があればエンジン交換となった。


 格納庫を見ると前のエンジン小隊長で今は群本部の品質管理班長になっている梅能2尉がこっちに背中を見せて立っていた。格納庫には整備用の台に載せたF-4EJのJ79エンジンが3基あるが控室に整備員がひとりもいないのに整備作業をしているのは1基だけだった。ほかにT-33AのJ33エンジン1基が隅に置いてある。そして完成エンジン置き場にはカバーを掛けたJ79エンジンが2基あった。やっぱりちょっと遅れ気味か、予備は2基、安心できないな、と昨夜のシフト幹部だった梅能2尉はぼくに言った。計画整備が遅れていた。突発的な整備作業が入ると計画整備は後回しにしてそっちを優先したし整備とは無関係の理由で整備作業全体が遅れることもあった。

 週明けの月曜日ぼくは基地副直幹部だった。そして翌朝非常呼集がかかった。当直勤務中の非常呼集は二回目だったが落ち着いて対処できた。非常呼集訓練が終わり副直幹部を下番して隊本部で隊長への申告を済ませBOQ(Bachelor Officer's Quarters:独身幹部宿舎)の自室で常装(いわゆる制服)から作業服に着替えてエンジン小隊へ行く前に群本部のメンコン(整備統制班)に寄った。部屋に入るとメンコン班長がこっちを見てちょうどいいところへ来たという顔で、君はそうていへいそうと放送していないよな、と確認するようにきいてきた。ぼくの、なんのことでしょう、という表情を見てメンコン班長は、そうだよな、君がそうていへいそうという言葉を知っているわけないよな、と言ってあっちを向くと首を傾げて、だれが言ったんだ、と呟いた。
 どうも今朝の非常呼集で兵装の指示になにか混乱があったらしいと思ったが3等空尉の整備幹部は3等空曹の整備員より知らないことが多かった。それなら、そうていへいそうとはなんですかとその場ですぐに聞けばいいものをそのうちわかるんだろうとのんびり構えてなにも聞かなかったのはいかにもぼくらしいことで、そのあたりが偉くなる人と偉くなれない人の違いなんだろう。ぼくがそうていへいそうという言葉を再び耳にすることはこのあと一度もなかった。

 非常呼集があったことでエンジンの整備がさらに遅れることになった。非常呼集で整備作業の開始が遅れたうえに非常呼集がかかった日は課業終了が15時で通常より2時間も早かった。ここひと月のあいだにこれで3回だ。
 ぼくは整備作業の遅れを取り戻すため小隊全員で残業することにした。3基もある計画整備中のエンジンの作業は遅れに遅れている。今予備エンジンは2基あるがいつなくなるかわからない。ゼロにはできない。どんなことでエンジン交換の必要が出てくるかわからずそのときエンジンがないからできませんなんてことになってはぼくが叱られて済む話ではない。予備が1基になってから慌ててもそのときはもう遅い。近く計画整備に入るエンジンがあった。残業して今のうちに進められるだけ進めておきたい。F-4は双発だからエンジンは右用と左用では燃料ポンプなどの補器の付け方が異なったが予備が4基あれば右用左用を1基ずつあらかじめ作っておけた。ということを森川2曹、窪畠1曹と相談してというよりほとんどふたりから聞かされて残業を決めた。
 残業は早い方がよい。できれば残業は一日だけにしたい。今朝非常呼集がかかったということは明日明後日に非常呼集がかかる確率は非常に低い。今日は早く帰れる。明日は水曜日で平日だ。残業は明日がいいと思った。
 ぼくはいつもより2時間早い終礼のときみんなに明日残業をすると伝えた。残業は22時までと考えていたがみんなには予定は23時までだと言った。翌日は普通に出てきてください、でないと残業する意味がありません、と最後に言った。それから、どうしても明日は残業できないという人は遠慮なく申し出てください、と言ったが申し出る者はいなかった。残業と聞いて嫌な顔をする者もいなかった。分隊長たちはうんうんと頷いていた。どうも窪畠1曹がそれとなく分隊長たちに話してくれていたようだった。
 ぼくは小隊長ではない。隊長が小隊長を兼務している。小隊長業務を代行してはいるがしがない小隊付であることに変わりはない。隊長からはエンジンはお前に任せると言われていたが小隊が残業するということは小隊長でもある隊長に報告すべきことだったが報告したかどうか憶えていない。そういう意識すらなかった気がする。あとで隊長からオレになぜ言わなかったと叱られた記憶はなかったが隊長はそういうことで怒る人ではなかったからそれで報告していたということにはならない。
 メンコンには森川2曹が伝えた。整備作業が終ると群本部品質管理班の検査員が来て確認した。OKをもらってすべてが終了となった。検査員にはエンジン整備特技(職種を特技といった)でベテランの1等空曹がなったがエンジン小隊を離れて品質管理班に入っていた。残業に付き合ってほしいと要請はしなかった。

 計画整備というのは予防整備のことでF-4EJでは450飛行時間毎に実施した。フェーズド・インスペクションという方式でおこなったがこれは稼働率を落とさないための工夫で基本飛行後点検(BPO)、定時飛行後点検(HPO)、定期検査(PE)の検査項目を合わせてそれを作業量が等しくなるように6フェーズ(PH)につまり6回に配分し75時間毎に実施した。エンジンの予防整備も機体と同じ450飛行時間毎で方式もフェーズド・インスペクションだった。それなら便利かというとこれがそう単純ではないというか簡単にはいかなかった。飛行機のエンジンは自動車のように積みっぱなしで交換することはまずないというわけではなかったからで、エンジン交換はまる一日かかるたいへんな作業で試験飛行も必要だったが頻繁ではないにしろごく普通におこない特別なことではなかった。F-4は双発つまりエンジンが2基なので機体のフェーズと2基のエンジンそれぞれのフェーズが一致しなかった。そして機体もエンジンも900飛行時間でオーバーホールとなった。飛行機ではIRAN(あいらん)といったがエンジンはそのままオーバーホールと呼んだ。オーバーホールは部隊ではおこなえず補給処でおこなった。
 各フェーズではエンジンを分解したから終わると試運転が必要だった。機体のフェーズではエンジンを取り外したがただエンジンを取り外すだけでもエンジンの検査をおこなったしおなじエンジンを積んでも試験飛行が必要だった。

 ここまでエンジン整備に関して憶えていることを元に書いたが違っているところがあるかもしれないし各フェーズでどんな検査をしたかまたエンジンの分解組立や機体からの取り外し取り付けなどの詳細はまったく憶えていないというかそもそも当時からよく知らなかった。エンジン小隊付幹部は整備員に混じって工具を手にフェーズを体験したりエンジン交換に立ち会ったりして実際の作業を知るのが普通だったがぼくは小隊長業務をやるのがやっとでそんなことをしている余裕はなかった。整備作業に関しては窪畠1曹と森川2曹にまったく頼っていた。だがこのときの残業では自分が主導してやったことがあった。

 翌日、営外居住者は残業に備えて昼食用と夕食用に弁当を2個持ってきている者がほとんどだった。17時からの1時間を営内居住者の夕食時間に合わせて食事の時間にしたが一斉に食べることはできなかったから交代で食べ、食べ終わるとたばこぐらいは吸ったがすぐに作業に戻った。ぼくも17時から食事にいった。食べながらこの時間に食べて10時まで残業すれば途中でみんな腹が空くだろうと思った。小隊に戻ってから窪畠1曹に、夜食を用意できるといいですね、と言ってみた。そりゃあみんな喜びますよ。給養小隊から余ったご飯をもらえないかな、おにぎりでも作って出せばどうでしょう、ぼくが作ります、ぼくだけすることがないから。なにも小隊長がそんなことやらなくても、それならこっちから若いのを何人かむこうに行かせて作らせてもらったらいいですよ、まず飯をもらえるかどうかですけどね。

 早速ぼくは給養小隊長に内線電話した。

はい、給養小隊○○2尉です。
エンジン小隊の虎本3尉です、今大丈夫でしょうか。
ええ、なんでしょう。
実はお願いがありまして、すいませんが余ったご飯があれば分けてもらえないかと思いまして・・・。
ご飯・・・、また急ですね、どうしたんですか、出すにしても理由を聞かないと。
実は今日小隊全員で夜中まで残業することにしたんです、整備作業が滞っていまして・・・、それでできれば夜食におにぎりを出してやりたいと思いまして・・・。
なるほど、で、どのくらいいりますか、人数は。
100人ほどいてひとりにおにぎり2個と思っています、もしよろしければこちらから行ってそこで作らせてもらえるとありがたいんですが・・・。
まだ出せるとは言っていませんよ。
ああ、そうでした、すいません。
ちょっと待ってくださいね、100人か・・・。

電話の向こうでだれかとなにか話しているのが聞こえた。

もしもし、お待たせしました、わかりました、ご飯をお出しします。
ほんとですか、ありがとうございます、助かります、では8時に休憩するから・・・7時過ぎにふたりばかりそちらに行かせますのでおにぎりを作らせてやってください、よろしくおねがいします。
おにぎりを200個ほどですね。
はい、ご迷惑をかけて申し訳ありません。
おにぎりはこちらで作ります、でもそっちに持って行くのは人手がないのでむりだから取りに来てください、お願いします。
ええっ、作ってもらえるんですか、それは・・・、しかし、いや、ご飯だけいただければこっちで作ります、そこまでお願いしては申し訳ないです。
おにぎりを作るのはそんなに簡単じゃないですよ、それにエンジンの整備をしているんでしょう、そんな油臭い手でにぎったおにぎりなんか食えたもんじゃない、作るのはこっちでやりますから取りに来てください、7時半ごろでいいですか、できたら連絡します。
それじゃ・・・お願いします、ありがとうございます、いや助かります、感謝します。

ということになった。

 小隊長、やりましたね、と横で聞いていた森川2曹はぼくより嬉しそうだった。むこうで作ってくれるって、でも取りに行かないといけない、7時半ごろにだれか行けますか、人がいないならぼくが行きますよ。小隊長が行くことはないですよ、8時に休憩か、7時半に取りに行く・・・、おにぎり200個・・・、ふたりで行けばいいか、機材庫に行かせるか、タグで運べるな、と森川2曹はすばやく段取りをきめてしまった。タグというのは牽引車のことで小隊にはエンジンを載せたドーリーを引くための屋根を取り払ったゴルフカートみたいな小型のタグが一台あった。ふたり乗りで荷台はなかったがおにぎり200個ならたいした距離でもなし膝の上に載せてもよかったし足元にも置けた。機材庫というのは整備用の工具や機材、それに交換用の部品、ボルトやナットなどの消耗品を管理している部署で2等空曹ひとりと空士長ひとりが仕事をしていたがどちらかと言えば暇なところだった。

 給養小隊から電話が来た。機材庫ではなくて分隊の若い空士がふたりタグで取りに行った。がすぐに戻って来た。小隊長、タグではだめです、とても運べません、と慌てた顔で言う。給養小隊もまたプロの集団だった。
 なんでだ、おにぎり200個ぐらい運べるだろう、と森川2曹が問いただすように言うと、それが味噌汁があるしおかずもあるんです、お茶のおおきなやかんもふたつほど、とその隊員は言う。どういうことだと思ったが、それならタグじゃだめだ、軽四をどこかから借りますか、と森川2曹に言うと、タグに台車を付ければいいんですよ、と言ってふたりを連れて格納庫に出て行ったと思ったらすぐに戻って来て、あとふたりほど一緒に行かせました、と事もなげに言うから、そんなものか、と思った。

 おにぎりはたしかにきれいににぎってあったしもちろんおいしかった。海苔で包んであった。とろろ昆布のもあった。中身は梅、昆布、鮭、なんでもあった。わかめの味噌汁に沢庵、奈良漬、野沢菜、おかずもなんでもあった。白ご飯でなくてシソを混ぜたご飯のおにぎりもあったがそれがホカホカだった。余ったご飯ではないようだ、わざわざ炊いてくれたのかもしれない、と思った。
 いただきます。ありがとうございます。うん、うまい。これはなんだ、鰹節が入っている。などとみんな口々に言って大喜びだった。小隊長、今腹へっていないから持って帰ってもいいですか、と聞く者や、なかには、残業もいいね、と言う者までいた。シフトの分隊長が来て、わしらも食べていいがけ、と聞くから、ちゃんと人数に入っています、と答えた。控室は一気に和んだがぼくも嬉しかった。小隊長らしいことがちょっとだけできたような気がした。
 給養小隊のサプライズのお陰で大いに士気があがったからお礼を言おうと給養小隊に電話したがだれも出なかった。給養小隊は朝が早いからもう帰ったあとだったようだ。翌日お礼の電話をしたのかというと・・・はっきり憶えていない。ぼくは肝心なことがいつも抜ける。


 残業は22時過ぎに終わることができた。目途が立ったからだが区切りもよかった。しかしもうこれで大丈夫というわけではもちろんなかった。残業はもうしなかったが朝の運動をやめて休憩時間も短くする厳しい日々がしばらく続いた。ぼくが小隊長代行の間、予備エンジンがゼロになることはなかったが4基揃うこともなかった。 2025年2月21日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)




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