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おにぎり2個 PLATOON LEADER 前編

 小松空港は滑走路が官民共用で空港ビル屋上の送迎デッキにあがると滑走路を挟んで真向いにある航空自衛隊小松基地がよく見えた。昭和57年早春の風景は真正面のエプロンに多数のF-4EJ戦闘機と少数のT-33A練習機が整然と並びその左のエプロンにはKV-107II救難ヘリコプターとMU-2S救難機が2機ずつ仲良く並んでいてそれらの戦闘機や救難機のうしろには五つの大きな三角屋根の格納庫が基地内の様子を隠すように立っていた。よく見ると右から3番目の格納庫の左横にも温室みたいな小さな三角屋根がある。第6航空団整備補給群修理隊エンジン小隊の格納庫でここがぼくの職場だ。ぼくはエンジン小隊付幹部の3等空尉で浜松南基地にある第1術科学校での11ヶ月に及んだBMO(航空機整備幹部基礎課程)を2月末に終え原隊へ復帰して半月ほどだったが、エンジン小隊長が術科学校に入校中で7月まで不在だったためそのあいだ小隊長を兼務している修理隊長から小隊長業務の代行を命じられていた。


 ぼくが6空団のエンジン小隊に来たのは1年前のことだった。奈良の幹部候補生学校から直行で小松基地に着いたのはもう夕方近くで配属先の修理隊本部で隊長への申告を済ませたあとエンジン小隊長の梅能2尉に連れられて小隊の格納庫へ行ったときには外はすっかり暗くなっていた。中に入ると屋根を支える鉄骨ごとに取り付けてある蛍光灯の白い光の下でアリが群がるように何人もの隊員が大きなジェットエンジンを整備している。かれらの着ている作業服も被っている帽子もひどく汚れていてちらっと見えた顔までが真っ黒だ。叡山の荒法師。この連中を相手にするのかえらいところへきた、と初日で緊張していたぼくは心細くなった。そんなぼくに小隊長は格納庫の隅っこで布が被せられている太長い大きな物体を指差して、あそこにカバーを掛けてあるのが整備の終わっている完成エンジンだ、つまり予備のエンジンだな、今2基あるがあれが1基に減ると心細くなる、ゼロになったら小隊長は心配で夜も寝られん、と独り言のように言った。
 それから格納庫内にある小隊長室に入った。灯りは点いていたがだれもいなくて机がみっつとゴミ箱がひとつ、火が消えている石油ストーブが1台のほかは壁にカレンダーが掛けてあるだけの殺風景な部屋だ。みっつの机はコの字型に並べてあり唯一の窓を背にした真ん中が小隊長の席で机上名札と電話機が乗っていた。その右にある机を小隊長は手でポンポンとたたいて、これが君の机だ、と言った。左の机はだれかが使っているらしく電話機があって本立てには帳簿みたいなものが何冊か立ててあるしどこかのお店でもらったらしい卓上カレンダーまで置いてある。小隊の庶務を担当する1等空曹の机だという。それから小隊長は、しかしここに君の仕事はない、控室に行っていればいい、とアドバイスするように言った。どういう意味かよくわからなかったが、はい、と返事した。

 翌日の朝礼で小隊長は、今度来た虎本候補生だ、とぼくを子猫でももらってきたかのように紹介した。挨拶の必要はなかった。朝礼が終わると小隊長は、ちょっと本部に行ってくる、村下1曹にいろいろ聞いといて、と言ってすぐに格納庫から出て行った。村下1曹というのはあの左の机の主でエンジン小隊の最上位の空曹だった。穏やかな顔付きで背は高いがやせていた。しかし1等空曹はなにやら書類を相手に忙しそうにしていたからぼくは話しかけずに小隊長にきのう言われた隊員控室に行くことにした。

 控室は小隊長室の隣だったがエンジン小隊は100人を超える大所帯だから控室も広かった。入口に近い壁側には事務机がたくさん並んでいて奥の方にはいくつもの長机とイスが置いてあった。冬期は部屋の真ん中に大きな石油ストーブが置かれる。壁以外の三方は大きなガラス窓で滑走路側の窓からは外がよく見えた。小隊の格納庫でのエンジン整備は定期的に実施する計画整備だけで不具合などでの突発的な修理や他部署の整備に関係した作業、機体のエンジン換装は整備格納庫に出向いておこなったし整備後の試運転はサイレンサーと呼んでいる遠く離れたところにある特殊な防音施設でやったから昼休み以外は控室にはごく少数の隊員しかいないことがおおかった。

 ぼくが控室に行くとこの日は5人ほどがストーブを囲んでイスに座りたばこを吸ったりコーヒーを飲んだりしながら話していた。小隊長はぼくにここでなにをしろというんだろう。格納庫ではふたつのエンジンを整備していたからそっちへ行って見学した方がいいような気がしたがいきなりではそれも変かと思いとりあえず小隊長室へ戻った。村下1曹が顔をあげてこっちを見たがすぐにうつむいて書類にもどった。だめだ、村下1曹に話しかけては気の毒だ、やっぱり控室か、いや整備の見学か、どうしようかと思っているところへ小隊長が帰って来て、メンコンに行くぞ、と言うから渡りに船で喜んであとについて行った。メンコンというのは整備補給群本部の整備統制班のことでメンテナンスコントロールだからメンコンと略したがその名の通り整備作業のすべてを統制していた。班長は3等空佐だった。

 次の日ぼくは、控室に行こう、なにをしたらいいのかわからないがとにかく行けばなにかわかるかもしれない、と心を決めて控室に行くと壁側の奥の机にひとり座っているだけでほかはだれもいなかった。座っていたのは小柄で愛想のよさそうな感じの1等空曹だ。なんだかホッとした。ぼくが近づいていくと1等空曹はニコニコしながら立ち上がり、みんな汚いかっこうでびっくりしたでしょう、と言う。ぼくは心を見透かされているようだと思った。そして、エンジン整備は煤と油で真っ黒になります、見た目は汚くてもいいやつばかりですよ、すぐに慣れますよ、とぼくを安心させるように言った。ぼくは完全に心を見透かされていた。1等空曹は窪畠という名前で村下1曹の次の位置にいる空曹だったが整備員たちを統括する整備係長をしていた。あとで知ったがこの窪畠1曹は頗る人望があった。
 その翌日窪畠1曹はいなかったが壁を背にした一番手前の席で髭が濃く天然パーマの2等空曹が電話をしていた。やはりほかにはだれもいない。後ろの壁にエンジンの一覧表らしきボードが掛けてあって青や赤のグリースペンで文字や数字が書き込んであったからエンジンの整備状況が表示してあるのだろうと思って眺めていると2等空曹はこっちを向いて電話の相手に聞こえないように受話器に手を当て、はじめまして森川です、と挨拶するから、はじめまして虎本です、と返した。森川2曹はメンコンとの窓口でメンコンから流れてくる整備作業を小隊の10個分隊に割り当てる整備統制係だった。つまりエンジン小隊のメンコン。森川2曹は腰痛持ちだと自分で言っていたがそれで作業はせずに統制係をあてがわれていたわけではないようで、これもあとでわかったことだがとても優秀で頭が切れた。エンジン小隊の整備作業のすべてがこの2等空曹の頭の中にあった。
 窪畠1曹も森川2曹も忙しい人だったがぼくが話しかければ嫌がらずにエンジン整備のこと小隊のことを教えてくれた。

 二三日してぼんやりとだが小隊のことが少しわかるようになるとそれまで見えていなかったみんなの顔が見えるようになってそのうち10人いる分隊長たちの顔と名前も憶えた。BMO(航空機整備幹部基礎課程)に行くまではこうしていればいいんだ、BMOは1年近くあるから仕事をきちんと憶えるのは戻ってからでいい、戻ってすぐに異動ということだってあり得る、と思ってのんびり構えていたが、本当にそれでいいのかな、とだんだん不安になってきて、このままではいけない、みんなとは挨拶だけじゃなくてもっと馴染まないといけない、BMOから戻ってきたら忘れられていたではダメだ、と考えた。
 数日後、この日は午前中は隊本部に用があってお昼を食べてから控室に行った。休憩時間中だから30人ほどがいた。10人ほどが集まっていたストーブのところへ行って入隊してまだ1年と少しと思われる1等空士の横のイスに座った。イスはそこしか空いていなかったからだがその隊員はいきなり小隊付幹部が横に来てびっくりしたのだろう固まってしまった。ぼくはかまわず胸ポケットから出したマイルドセブンに火をつけフーとやってから、今日は忙しいのかな、と話しかけた。返事はなかった。そこで、雨になりそうだね、と独り言のように言ってみた。やはり反応はない。すると向かいのイスに座っていた体格のいい3等空曹が、そういえば今朝の天気予報では午後から雨でしたね、とぼくに合わせるように言った。こんなことから会話がはじまってしばらくするとほかの隊員も話に加わり笑い声も出るようになったころひとりの空士長がコーヒーを持ってきてくれた。はいどうぞ、1杯100円です、でも最初の1杯だから今日はサービスしときます、よかったらいつでも自由に飲んでくだい、1杯100円です。
 そうか、みんなもぼくと親しくしたいと思っていたんだ、でもぼくは幹部候補生だからみんなからは距離を縮めづらい、こっちから近づいていかないといけなかったのだ、小隊長が控室に行っていろとはそういう意味だったか、と気が付いた。ぼくは幹部候補生になる前は3等空曹で気象観測員だったが気象隊は少人数で家庭的雰囲気なうえに観測員は予報官である幹部と連携して仕事をしたから幹部との距離など意識したことも考えたこともなかった。
 ありがとう。空士長に礼を言って飲むインスタントコーヒーは美味しかった。

 ぼくはこの前日の夜、BOQ(独身幹部宿舎)の自室でたばこを吸う練習をした。それまでたばこを吸ったことがなかったのだ。ぼくが控室でたばこを吸うことを思いついたのは4年ほど前、初任空曹課程といって3等空曹に昇任すると教育隊に入って受ける教育訓練での出来事を思い出したからだった。教練の休憩中に体操服姿で帽子に黒い線を三本巻いた年配の幹部がとことこやってきてぼくに向かって、君はたばこを吸わんのか吸わなきゃいかんな、と言う。ぼくだけがたばこを吸っていなかった。帽子の線の数を見て中隊長以上の幹部だとわかったが、変なことを言う人だ、普通ならたばこは体に悪いから吸うなと言うもんだが、と思ったから、どうしてですか、と訊くと、自分が吸わないと吸いたくなるタイミングがわからない、それがわからなければ部下に休憩を取らせるタイミングがわからないだろ、という答えだった。なるほどと思ったがそのころは東京気象隊の気象観測員で3等空曹になっても観測班では階級も年齢も一番下で部下などいない身だったから気にも留めないでずっと忘れていたことをにわかに思い出したのだった。ちなみにぼくに喫煙の習慣を付けろと言った幹部が学生隊長だったとあとでわかったがこの人は型破りというかちょっと変わっていて、きみはいつ見てもジャージだな制服はどうした質屋か、と基地司令からからかわれたという人だったがその分みんなに慕われていた。

 控室でたばこを吸ったことがよかったというわけではない。自分から近づいて話しかけたことがよかったのだがたばこに意味がなかったわけではなかった。みんなと同じことをしたのだ。人間関係に不器用でスーと集団のなかに溶け込んでいくのが苦手なぼくにはこういう普通はなんでもないことに努力が必要だった。この半月後BMOに入ったが、このときはぼくがBMOから戻ってきていきなり小隊長代行をさせられることになるとはぼくはもちろん小隊のだれもが冗談にも思っていなかった。


 小隊付幹部のまま小隊長業務を遂行するぼくを窪畠1曹はじめ小隊のみんなは小隊長と呼んだ。ぼくは毎朝7時にエンジン格納庫に出勤すると小隊長室で7時半の朝礼まで書類仕事をした。朝礼のあとは基地内の道路を5キロほどジョギングしてから8時半ころに隣の3格(第3格納庫、整備用の格納庫)にある修理隊本部に顔を出し次に3格のさらに隣の整備補給群本部の2階にあるメンコンに行った。隊本部に顔を出すのは隊長に小隊の状況を報告し出勤簿に判を押して命令を確認するためだったが、メンコンに行くのは航空機の整備状況を知るためでメンコンの壁一面の巨大なボードを眺めた。ボードには6空団が保有する全航空機の整備状況が表示してあった。が、そこに書かれていることがほとんど解らなかったから今日もエンジンの虎本はメンコンに来ましたとアピールしているだけのようなものだった。BMOを出たばかりの3等空尉はそれでよかったしそれが仕事だった。実際メンコンの空曹たちがぼくに話しかけてくるときは世間話ばかりで整備の話はなにひとつしなかった。そしてそれはそういう仕組みになっていたからだったがぼくには悩ましいものに思えた。

 小隊に戻ると小隊長室には寄らず控室へ行き森川2曹から今どんな作業をしているのかを聞いた。整備補給群の指揮系統は命令系統と統制系統の二本立てになっている。命令系統は部隊編成上の指揮系統で統制系統は整備作業における指揮系統だった。整備作業に関する命令指示は各隊各小隊を経由することなくメンコンから直接現場に流される。だから小隊長は整備に直接的にはタッチしない。係から報告を受けるか自分から確認しない限り自分の小隊の整備作業がどうなっているのかがわからなかった。そしてわからなくてもいいというわけではもちろんなかった。 2025年1月11日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)

 後編につづく・・・。




 今年の正月は家が揺れなかったが心が揺れた。正月四日の午後1時半過ぎだった。那覇のN君が電話してきて、あの続きはどうなったんだ、と年始の挨拶ついでのように言う。もう半年だぞ、続きがあると書いていたからいつかいつかと待っていたのにカメムシがどうしたとかそんなことばかりじゃないか、と言うのだ。あの続きというのは去年7月に書いた記事のことだ。ぼくはしまったと思った。実はあんな予告はしなければよかったと思っていたというのは予告したものの書きはじめてすぐにいや書けないなと困った。それなら早々にその一文を削除すればよいようなものだが、まあしかしだれか読む人がいてもすぐに忘れるだろう、といつもの癖で高をくくった。続きはそのうちゆっくりというつもりでいたからN君の催促は激震だった。M7.6震度7。あああれか、推敲中というかあの続きは・・・。待て、言うな、ホームページの記事で知りたい、今内容を知ってしまったらホームページがおもしろく読めないではないか。わかったよ、書くよ。と言ってしまったからどうにもすぐに続きを書かねばならなくなったがこのところ悪天候続きで"晴耕"より"雨読"に向いていたから丁度よかった。というわけで今回半分だけ書いてアップした。今回は登場人物の名前はイニシャルではなく仮名にした。続きだから前の記事の名前も仮名に直した。N君は電話の最後に、年賀状は今年から出さないことにしたから、と言った。ほかにもそう宣言してきた友人がおととしあたりから何人もいる。 虎本伸一(メキラ・シンエモン)


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