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晴耕雨読半年

 仕事は70歳までと65歳を過ぎたころから漠然と考えていた。そんなぼくの心を決めさせたのは元日の能登半島地震だった。地震が直接の理由ではなかったがあの大地震がなければ今もまだダラダラと仕事を続けていたかもしれないと思うとやはりぼくは元日の地震で心を決めていた。能登半島地震はぼくの残りの人生に晴耕雨読という生き方を選択させた。


 ぼくは10年あまり前から月に一度、歯を磨いてもらうためだけに歯医者さんに行っている。ぼくは歯磨きが下手だった。歯の裏や奥歯など自分ではうまく磨けないところを歯科衛生士と言うのだろうか看護師のような服を着た女性に40分ほど掛けて磨いてもらう。歯科衛生士は4人いてだれが磨くかはその時その時だがだれに磨いてもらっても終わったあとしばらくヒリヒリするくらい丁寧に磨いてくれる。磨き終わると先生が確認した。お陰で歯はまだすべて揃っている。
 ぼくが歯を磨いてもらっている歯医者さんは同じ町内にあって開業してもう長い。開業時から珍しいことに予約制を採っていない。どうも時間を気にしないで治療したいかららしい。だから治療は当日の受付順で受付だけしておいてあとで来るということもできないから1時間待つことも普通だった。それでもこのせわしない世の中で潰れず続けていられるのはこの治療方針が支持されているのだろう。先生は女医さんでぼくと同い年だが学年はひとつ上だった。両親もかかっていたし女房も診てもらっている。それで込んでいないときなど世間話をすることがあった。
 先月の下旬、歯磨きに行ったとき先生がぼくにまだ仕事に行っているのかと訊いてきた。そういえば毎月行っているのに訊かれなかったこともあって歯医者さんではまだ話していなかった。3月いっぱいで辞めました。ほんとかいね、ほんなら悠々自適やじ。そうはなかなかいかんけどね、先生ももう辞めたらいいがいね、ぼくと同い年なんやし。年の話はせんといてっていつも言っとるがいね。もう十分稼いだんやし、もういいがいね。そんな稼いどらんし、辞めてもほかにすることないし、辞めたらすぐボケるわ。あそうか、仕事しかしてこんかったやね。そうやわいね。先生はこれといった趣味もなく仕事以外は主婦業しかしてこなかったらしい。しかし先生から悠々自適と言われて、会う人会う人みんなから、悠々自適ですね、と言われていた半年前の4月に逆戻りしたような気分だった。

 10月になり勤め先を辞めて半年が経った。もう、とも、やっと、とも思わない。近ごろようやく毎日家にいることに慣れてきたが元々ずぼらな性格だから無為に過ごしてしまわないように気をつけるのはそう楽なことではない。まだ仕事の気分が残っているのか夜寝ているとたまにかつての仕事が夢に出てくる。それが困ったことになっている嫌な夢ばかりだった。それをこれは夢なんだと夢の中で自分に言い聞かせて安心するのだから不思議だ。

 それはともかく悠々自適の話だが、隠居したと聞くとほかに言うことはないのかと思うくらいみんながみんな、悠々自適ですね、と言う。挨拶言葉の決まり文句になっている悠々自適だがそれだけに本気で言っている人がどれだけいるのかと思うと羨ましがられているようでからかわれているようでもある。そもそも働かなくても暮らせる人が悠々自適とはかぎらない。ぼくの行っている歯医者さんの先生は裕福だしもう引退してもおかしくない年なのに仕事をしないではいられないようだった。いや、しかしそれなら、先生の場合は仕事を続けることが悠々自適になるのか。生活のためにやりたいことを我慢して望んでもいないことをしているのではないのならそういうことになる。定義などどうでもいい、本人はどう思っているのかは知らないが、先生の悠々自適は歯医者を続けることだった。


 ぼくは悠々自適ではなく晴耕雨読である。妙なこだわりに聞こえるかもしれないが悠々自適と晴耕雨読は似ているようでぼくにおいては大いにちがった。生活様式、生活習慣、人生観、価値観といった定義的あるいは観念的で面倒くさい話ではない。晴れの日には晴れの日のことを雨の日には雨の日のことをやって気分のままに暮らす。それは気ままにやりたいことをして過ごすのとは大いにちがった。晴耕雨読でいくと決めて半年、昨日のことはもういい、これからも晴耕雨読でいく、明日のことはまだわからない、行けるところまでいく。2024年10月9日 とらもとしんいち(メキラ・シンエモン)



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