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竹立さんの膝

 能登は壊れてしまった。能登は地も人も壊れてしまった。元日の大地震で半分壊れて今回の大雨で残り半分が壊れてしまった。昨日がなくなり今日はなく明日もなかった。地質学や気象学があとから詳細に解説してくれてもただむなしいだけだった。政治家がこぞってやってくれば、なにしに来た、とは言わないまでもありがたさは微塵もなかった。元気を出してとか頑張ってとかどんな気持ちになれば言えますか。100キロしか離れていない金沢にいるぼくは申し訳ない気持ちだった。どうして申し訳ないのか自分でもよくわからなかった。元日の大地震ではこんな気持ちになることはなかった。

 今日23日になってようやく雨が止んだ。昨日の日曜は秋分の日で今日はその振替休日だった。白い雲の浮かぶ青空が広がった。ぼくは勇んでウォーキングに出た。もっとも、大雨になった21日も22日もウォーキングに出ていた。わずかな晴れ間を狙って傘を持って出かけたのだが雨が落ちてきても風が強くて傘など差さすより濡れる方がよほどよかった。今日は傘も要らないはずだったのに途中で突然降って来た。帰り道のまだ山頂近くでいきなりザーと来た。葉が重なっている椿の木の下に入ってぎりぎりの雨宿りをしているとヘリコプターの音が聞こえてきた。空からではない。麓の野田にある陸上自衛隊金沢駐屯地からだった。ジェットエンジンとローターの回転音が混じり合ったバタバタと鳴る音には飛び立つ気などなく地上で待機しているようだった。機種はブラックホークではないチヌークでもないイロコイ系の国産機だとわかる。複数機いるようだった。陸自のヘリコプターが休日には飛ばないということはなかったが今日は訓練ではない災害派遣だろうという気がした。能登の大雨が心に掛かっていたからだがヘリコプターの羽音で1月2日を思い出していた。元日の能登半島大地震の翌日は朝から晩まで自衛隊のヘリコプターが何機も何機もひっきりなしに金沢の上空を飛んだ。次の日もその次の日もそのまた次の日もそれからあとも毎日飛んだ。陸自だけではない空自のヘリコプターも飛んだ。ヘリコプターは我が家の真上を低く飛んで空自小松基地と陸自金沢駐屯地を往復していた。飛行機好きのぼくはローターの回転音だけで機種が識別できるようになってしまった。ヘリコプターの音を聞いても近ごろはもう思い出さなくなっていた元日の大地震が今日は思い出された。金沢では震度5強だったが怖かった。長く揺れていてどうなるんだろうかと考える間があったことが恐怖だった。あの日からすべての価値観が変わったんだと思い起こしていると15分ほどして突然の雨は徐々に弱まりやがて止んだ。山を降りていくあいだずっとヘリコプターの音が聞こえていた。元の青空には戻らなかった。

 ウォーキングから戻って来て家まであと数分というところで反対側の歩道をむこうから歩いてくる老人の視線を感じた。老人はサングラスを掛けていたがサングラスの下の目はただこっちを見ているのではないと思った。あれっ、ひょっとして、いやいやそんなはずはないとぼくはすぐに否定した。老人は白っぽい半袖半ズボンで運動靴も白なら野球帽も白でむき出しになっている腕も脚も真っ白だった。あの人ならいつも被っている帽子は青だしサングラスなど掛けはしない。それにあんなに色白のはずはなかった。しかし距離がつまるとその否定をただちに否定することになった。やはり竹立さんだった。ぼくは左右も確認しないで向こう側に渡ると声を掛けた。竹立さん。わかりましたか。竹立さんの声は嬉しそうだった。わかりますよ、なにをおっしゃる。ぼくはサングラスを外して顔を見せた。久しぶりですね、しばらく姿を見かけなかったからどうされているのかと思っていました、お元気でしたか。これなんや。竹立さんは左の膝を指差した。左膝のやや内側には縦に10センチを超えるだろうかという大きな傷があった。それは手術をした痕のようだった。竹立さんはサングラスを掛けたまま外さなかったが声は明るい。

 竹立さんは我が家の左隣だった。といって間に2軒繋がりの集合住宅が2棟あるから自然に竹立さんの日々の様子が知れるということはなかった。竹立さんは85歳ほどだろうか。15年前に他界したぼくの父親とは仲が良かった。ぼくはずっと竹立さんとは道で会えば挨拶するというだけだったがぼくに家で過ごす時間が多くなった5年ほど前から親しくいろいろ話をするようになっていた。相談に乗ってもらうこともあったが不意の訪問でもちょっと込み入った話だと玄関先での立ち話ではなく座敷に上げてくれた。竹立さんはもう10年ほど前に隠居していたがどこへ行くのか毎日出かけているようだった。正義感が強く信念を通す人で普段は優しいが怒らせると怖かった。またこまめな人でもあった。雪が降ればそれが少量でもただちに雪かきをしたし家の前の掃除や草取りは毎日のようにしていた。そんな竹立さんが梅雨の明けたころから姿を見せなくなりどこか具合でも悪くしているんじゃないだろうかと気になっていた。でもなんとなく気が引けて遂に竹立さんを訪ねることなく日が過ぎていた。

 転んだんですか。人工関節を入れたがや、年取っていとうていとうておられんかった。そうでしたか、このごろ見かけないからどうかされたんじゃないかなと思っていましたがそうでしたか、それは大変でしたね。竹立さんは人工膝関節置換術の手術を受け2か月ほど入院していたが歩けるまでに回復したので退院してきたばかりだった。どうりで色が白かった。雨が止んだ今日はリハビリを兼ねて散歩に出てきたらしい。竹立さんは自分の白い脚をぼくの日焼けした脚に寄せてきた。あんたの脚はワックスでも塗ったみたいやな、ツヤツヤしとる。毎日2時間ほど歩いていますから、野田山の墓まで行ってくるんです。あんた自衛隊におったんやし体はどこも悪ないがやろ。ええ、まあ特別悪いところはありません。古山さんは元気にしとっけ。竹立さんはもうその話はよそうとでも言うようにいきなり訊いてきた。ぼくはたぶんそうだと思うと曖昧なことを言った。竹立さんの後ろの空に2機のヘリコプターが現れて北に向けて飛んで行った。ふたりとも能登の大雨は最後まで話題にしなかった。2024年9月23日 とらもとしんいち(メキラ・シンエモン)

 竹立さんも古山さんも仮名です。





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