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晴に耕さず雨に読まず
4月最初の土曜日だったと思う。ウォーキングから戻って来ると隣家の奥さんが道に出て向かいにある学校の方へスマホをかざし青い空を背景に校庭で咲く満開の桜を写真に撮っていた。こっちを視とめて、お仕事からお帰りですか、と言う。いいえ実は仕事は先月末で辞めました、と返した。すると、あらそうでしたかそれじゃ悠々自適ですね、とまた言う。いやいやなかなかそうは、とまた返した。こういう場合の定番会話で特に意味もない挨拶言葉だ。相手はお隣さんだからここで終わっても寂しいので、しばらくはのんびりして食えなくなったらまた働きますよ、と続きのつもりで言うと、まさかそんなこと、と予想通り隣の奥さんはご冗談をという声で言った。こっちはあり得ると思ってなかば本気で言ったことだが向こうはあくまでも挨拶の遣り取りとして聴くから本気にしないのはありがたい。いや、やっぱりそうなんだ、と思ったのかもしれない。いや、隣の家の奥さんに限ってそれはないか。
先月は顔見知りに会うたびにこんな会話になった。普段は挨拶だけのお隣さんよりもうちょっと関わりがある関係だと会話はもうちょっと続く傾向がある。もう辞めたんですかまだ早いでしょう、と言う人がいて、いやもう年ですから、と返すと、いやいやまだまだお若い、と相手はわざとらしいことを言う。という具合になる。これも定番の挨拶会話みたいなものだが近ごろはそれが単なる挨拶とも言えない長寿社会になっているからやっかいだ。付き合いが長いと会話はさらに踏み込んでくる。しかし閑でしょうそのうちきっと何かしたくなるよそれに何もしないでいるとボケるよ、と笑って言う人がいたから、それなら心配いりませんもう十分ボケとります、と笑って返した。冗談を言い合ったのかというと、その相手が年も近くて親の代から世話になっている掛かりつけ医の先生だったから、向こうもこっちも笑っている顔の下で、そうかも知れん、とやや本気で思っている。顔見知りとのこういう遣り取りが一か月ほど続いた。
仕事を辞めたとだれかに言うとたいていは悠々自適ですかという言葉が返ってくる。しかし悠々自適なんていう人、ほんとうにいるのだろうか。閑(ひま)が暇(ひま)だと悠々ではない。閑でも好きなことができないなら自適ではない。みんな何かしら事情を抱えている。普通に当たり前のようにみんながみんな悠々自適になれるのなら隠居したと聞いてわざわざそう言って見せる必要もなかった。
悠々自適に似た言葉に晴耕雨読がある。しかし悠々自適ほど市民権を得ていないのかたまに使ってみると、なんのこと、という顔をされることがある。ぼくは晴耕雨読の方が悠々自適より好きだ。晴れの日は地を耕し雨の日は書を読むなんてシャレているではないか。是非ともそういう生活に入ってみたいとずっと思っていた。今その時が到来した。
でも話はそう簡単ではない。晴耕雨読を言葉そのままに生活したいと思ってもそういう境遇ではない。まず気象条件が厳しい。金沢には昔から弁当忘れても傘忘れるなという言葉があって今時ならスマホ忘れても傘忘れるなというところだろうか、という土地柄だ。雨の日に必ず家にいるなら引き籠りと変わらない。雪の日はどうしても外に出ねばならない。雪すかしという重労働が待っている。そもそもぼくには農業の心得もなければ読書の習慣もなかった。
それなら晴耕雨読だなんてカッコつけて見せただけで本気ではなかったのかと言うと、本気なのである。これはだから「気分」の話だ、ということになる。晴耕雨読という言葉は行為そのものを言っているのではなく生き方の方針を言っているのである。ぼくの言う「気分」というのは、年金と貯えでなんとかでも食べていくことができるのなら贅沢をするために働くより、もう持ち時間が少なくなってきているはずの人生、知らないうちにすでに秒読みならぬ年読みが始まっているのかもしれない残りの人生は「晴れの日は外で雨の日なら家に」を生活の基本にしながら好きなことをして暮そう、という「気分」だ。
えっ、悠々自適でも晴耕雨読でもなんでもいいけど好きなことが金のかかることだったらどうなるのかって、そういう人は晴耕雨読などという言葉にはまず反応したりはしないと思うが、幸いにしてぼくは貧乏に暮らせるようにできている。それに「雨読」は、若いころに読んで中身はとっくの昔に忘れてしまった本が車庫の二階に山積みで、昔買ったまま手を付けていないプラ模型のキットは押し入れの戸を開ければ崩れ落ちてくるほどもあるから、さほどお金を使わなくても楽しみにはこと欠かない。また「晴耕」の方は、そんなのただの真似ごとじゃないかと言われそうなほどわずかだが、すでにやっていた。20年ほど前から晴れならもちろん多少の雨でも裏の山に登っている。みぞれは嫌だが寒い寒い雪の日は喜々として登る。庭木の剪定は数年前からは造園業者を頼まず見様見真似でぼくがしている。アジサイなどの害虫駆除はぼくがする。かなり前から女房が庭に作っている小さな畑いわゆる家庭菜園は唐辛子やピーマン、サンチュ(レタスのような野菜)は彼女が採るがナスやミニトマトは、それにキュウリもぼくがもいでいる。
仕事を辞めると女房に言ったとき、いいよ、とあっさり返事したのは、国連の安全保障理事会で常任理事国が拒否権を行使しなかったようなものだから、ウクライナ和平ほどの困難を覚悟していただけにホッとして、年末ジャンボ宝くじの一等に当たったほどに嬉しかった。もっとも宝くじなど買ったことはこれまで一度もない。2024年5月6日 とらもとしんいち(メキラ・シンエモン)
(年読みとはぼくの考えた残り時間の定義みたいなもので、秒読みではもうあの世、分読みなら時間の問題、日読みだと危篤状態、月読みと言えば医者から宣告されたと定義し、そう長くはなくてもまだしばらくは元気でいられるなら年読みでいいかと思った。)
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