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柳生街道 滝坂の道シリーズ

朝日観音と夕日観音 柳生街道

 石仏と聞いたらお地蔵さんがまず頭に浮かぶのが普通だろうと思います。では逆にお地蔵さんと聞いたらなにが頭に浮かぶかというと・・・やはり石仏ですがそれは村境の辻に立って村を守っている風景としてではないかと思います。ところが石のお地蔵さんは人間を見張っているようだと考えた著名人がいました。だれかというと・・・水木しげるです。「悪魔くん」のリメイク版「千年王国」のなかで動いている石のお地蔵さんの群れを見たヤモリビトがそんなことをつぶやきます。水木さんのその発想がどこから生まれたのかは知りませんがあながち漫画家らしい突飛もないアイデアとも言えないなと思うというのは、柳生街道の夕日観音は人が礼拝するにはあまりに高い位置にあって下の道を往来する深編笠の武芸者をチェックするのに絶好のポジションに立っているように思えます。


柳生街道の宝石
 朝日観音と夕日観音は400mほど離れて立っている柳生街道の宝石です。朝日観音がサファイヤなら夕日観音はルビー。名前からこのふたつはセットのように思えますがそういうわけではなく柳生の人が奈良への往復の朝と夕に拝んだところから朝日観音と夕日観音と名付けられたのだともいいます。観音と言っていますが実際はどちらも弥勒如来だそうです。

朝日観音 小さな渓流を跨いだ向こう側の大きな岩に彫られています

朝日観音
 首切り地蔵から西すなわち奈良方向へ能登川という小さな渓流に沿った石畳を400mほど歩いたところに朝日観音はあります。一跨ぎで渡れる対岸の崖のやや高いところに見えていて三尊形式の中尊は弥勒如来坐像、両脇は地蔵菩薩立像です。線刻に近い浅い浮彫で地蔵菩薩像はどちらも風化が進んでいますが中尊の弥勒如来像ははっきりしていて閉じたまぶたと一文字に結んだ口元が慈悲深い納得の観音様です。東面していて朝日が射すことから朝日観音と名付けられたともいいます。それなら朝日が射しているところを拝んでみたい気もしますがここは泊るところなどない深い山の中、奈良公園を夜明けの1時間も前に出発して暗い夜道を歩いて来て夜明けを待って振り返れば見られるかもしれません。

真ん中が朝日観音 実は弥勒仏ですが表情は慈悲深い観音様 鎌倉時代

四体仏
 朝日観音からここらあたりがもっとも柳生街道らしいかなと思える道を数分下って行くと右に夕日観音と記した道しるべが立っています。しかしそこにそれらしい石仏は見えずちょっと高いところに3体か4体のお地蔵さんらしき立像が並んでいるのが見えました。これかなと思うと間違いです。道しるべのほぼ真上だし朝日観音が三尊形式だったのでついつられてしまいそうになりますが夕日観音は独尊つまり1体だけで彫られています。見えているのは四体仏と呼ばれている磨崖仏でした。では夕日観音はいずこに・・・。

寝仏
 夕日観音を探して渓流沿いを少し行くとやはり右に今度は寝仏という道しるべです。その長方形の板にはだれの仕業なのかなんの意味なのか100均ででも売っていそうな安っぽいほうきがつりさげてあって雰囲気を台無しにしています。なにを掃くつもり・・・。あなたの心の塵。それはどうも恐れ入ります。それはともかくこれもまたわかりにくいというのは道端に転がっている一抱えほどもある岩の裏側というか道からは見えない山側の面に仏様が彫ってあるからで、はじめぼくはわからなくてミキオ君に教えられて漸く気が付きました。
 寝仏と言って涅槃像のように横たわって寝ているわけではなく頭を東に向けて横倒しになった如来坐像です。さっきの四体仏の片割れで道まで落ちたのだといいますがそうは思えません。線刻の風化が進んでいてはっきりしませんが大日如来らしく智拳印を結んでいるように見えます。で、夕日観音は・・・。

寝仏付近の柳生街道 右側の路傍に見える大きな岩が寝仏 道の左を能登川が流れる


夕日観音
 寝仏からさらに下ったところまで来て、ここまで下がったところに夕日観音があるはずがない、と思ったぼくは四体仏まで引き返してもう一度今度はもっと上の方を探すことにしました。ミキオ君にはなにも言わなかったからいきなり置き去りにされたのはかわいそうですがそこまで気が回っていません。
 四体仏まで戻ってじっくり上の方を眺めて、ああ、あった、あれだ、と左のかなり上に見つけました。西に傾いた日が差し込んでそこだけ明るくなっていたのでわかりました。時計を見れば午後4時半をちょっと回ったところで夕方と言うにはまだ少し早いようですが細かいことは言いっこなしで夕日に照らされた夕日観音でした。これが観たかった。

中央やや上、夕日が差して明るく見えているのが夕日観音 右端中央少し下、四角い岩が四体仏

 もっとよく観ようと思い斜面を登りますが上がれば上がるほど下の方から体が隠れていってしまいます。すぐ前まで行けばいいのでしょうが結構高いところにあってしかもかなりの急斜面です。緩やかに上る回り道はないのかな。地獄谷石窟仏と春日奥山石窟仏でもう懲り懲りしていたし観たかったのは夕日に照らされた姿だったんだからと言い訳して適当なところで止まってしばらく眺めていました。やや面長で伏し目がちに下を見降ろして泣いているようにも笑っているようにも見えます。後ろ姿はきっと素敵。なるほど夕日の観音様です。

泣いているのか笑っているのか 夕日に照らされ柳生街道を見下ろす夕日観音 鎌倉時代


 下へ降りはじめたところでミキオ君に申し訳ないことをしたと気が付いて戻るとすぐに、ごめんごめん、と謝りますが、いつものことだからという顔でした。いきなり走りだしたり前触れなく斜面を登ったりしてさぞ呆れていただろうと思って翌日ミキオ君にメールしてみると呆れたというより困惑していたそうです。次は困惑させないようにするからね・・・。(2023年4月18日 メキラ・シンエモン)



写真:メキラ・シンエモン


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