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柳生街道 滝坂の道シリーズ

首切り地蔵 柳生街道

 旅をするなら電車、電車の旅なら季節は春、春なら花は桜、桜の花なら満開・・・だとぼくは思っています。奈良へ行くときに京都まで乗る湖西線経由の特急サンダーバードはいつも自由席にしています。金沢始発で席を自由に選べます。4月はじめのよく晴れた日の早朝金沢駅2番線からサンダーバード6号に乗り込んだぼくは窓枠のない右側の席に座りました。いつもは琵琶湖が見たいので左側に座るのに今日は反対側です。いつもの4号より約1時間後の6号なので左側の席は朝日が差し込んで眩しいのと窓の外を前から後ろへと流れていく桜が咲く風景を眺めたかったからです。人が植えた桜、山に自生する桜、金沢から京都まで途切れることのない桜が咲く風景、期待した美しい春の景色を楽しみました。


柳生街道
 柳生街道は奈良から見た呼び名で柳生の人たちは奈良街道と呼んでいたそうです。なるほど真理です。それならぼくらは柳生方向から歩いてきているのだから奈良街道と言うべきかもしれません。いや奈良街道ではちょっとピンときません、奈良を目指して歩いてもここはやっぱり柳生街道にしておきます。

首切り地蔵
 春日奥山石窟仏の道しるべから西へ柳生街道独特の石畳の道が緩やかに下っていきます。400mほど歩くと広見になっていて東屋とトイレのあるやや大きめの休憩所です。なんだかホッとさせられます。歩いてきた道はここで地獄谷石窟仏から春日奥山石窟仏へ行く途中にあった池の方から来る道と合流しています。そこに2メートルはあろうかという大きな石のお地蔵さんが立っていてそれが首と同体を切り離したあと再び首を胴体に載せたみたいに見えるところから首切り地蔵と呼ばれています。

首切り地蔵 鎌倉時代

 首切り地蔵と言っていますがお地蔵さんがだれかの首を切ったりするわけはなく首は切られているのだから首切られ地蔵です。下手人は判明していて切ったのは荒木又右衛門だそうです。鍵屋の辻の決闘で知られる柳生新陰流の達人で江戸時代初期の武士ですね。このお地蔵さんは鎌倉時代の作だというから・・・ということは江戸時代初期まで300年あまりは首が繋がっていた。という話になっていますが、首は一番弱い部分だから本当は倒れて割れたんでしょう。それを剣豪が首を切ったのだと言い張ったのはいかにも柳生街道の石仏らしい命名です。

首切り地蔵 首は荒木又衛門が切りました

 頭に苔が濃く付着して髪の毛が伸びた坊さんみたいになっています。かなり風化が進んでいますが顔は穏やかに微笑んでいるように見えます。元はどんな表情だったのかわかりませんがその昔柳生街道を往来する人々からは辻に立つ道しるべあるいは守り神としてきっと親しまれていたことでしょう。そして今は散策に来る人たちにとってちょうど良い場所にあるちょうど良い広さの休憩所にいかにもよく似合う石のお地蔵さんです。


 ここへ来るまでに案内の地図にはあっても立ち寄らなかった石仏がいくつかありました。すべてを観ている時間はないだろうと思ったからで、地図では首切り地蔵から池の方へ少し戻ったところに苔地蔵と呼ばれている石仏がありますがやはり寄らずに石畳の道を、柳生街道の宝石とぼくが勝手に呼んでいる朝日観音と夕日観音を目指しました。(2023年4月18日 メキラ・シンエモン)



写真:メキラ・シンエモン


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