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柳生街道 滝坂の道シリーズ

春日奥山石窟仏 滝坂の道

 滝坂の道を歩いているぼくらを導いてくれている道しるべは登山道なんかでよく見る長方形の木片の左あるいは右の端の上辺を長く下辺を短く斜めに切ってこげ茶色に塗り地名や距離などを白い文字で書いてその方向へ向けて太い杭にボルトで取り付けたものです。板の両端とも斜めに切ってあれば往還を表し逆に両端とも垂直で斜めに切っていないならそこが目的地です。ぼくらが頼りにしているこの滝坂の道の道しるべは板も傷んでいなければ文字もハッキリしていてどうも最近設置されたんじゃないのかなという気がします。2018年9月の台風で崩れた道を修復するときに新しくしたのかもしれません。あの年の10月ぼくらは斑鳩へ行ったのですがはじめは滝坂の道へ行くつもりだったのが台風の被害で通れなくなっていたために行先を変更していました。


春日奥山古事の森
 地獄谷石窟仏から登り口の案内看板のあるところまで下りてきたぼくらは道路を渡った向かい側にある首切り地蔵・春日奥山石窟仏と記した道しるべに従って、ここでいいの、と思うほどの細い道へ入りました。念のため地図を見ますが方向は確かです。春日奥山とは春日大社の背後の山のさらに奥の山ということのようです。ちょっと行くと「春日奥山古事の森」と書いた少し古くなった案内看板が立っていました。読んでみるとこの辺りは大昔から神社仏閣の補修用の木材を採るために保護されてきた森で今は国有林となっていてボランティアの協力により維持されているというようなことが書いてあります。しかし見渡してみても使えるような大木はどこにもありません。ではこの森は将来のためにかというとそれはあるのでしょうが案内書きによると日本という国は「木の文化」の国であるということを示す象徴なんだそうです。

春日奥山石窟
 とにかく道しるべに従って歩きます。橋を渡り池の横を通り上り下りすると春日奥山石窟仏と記した道しるべがあるところへ来ました。そこに石窟はなくただ崖のような斜面があるだけです。よく見ると20mと書いてあります。つまりこの上か・・・。だれかが登った跡が付いています。しかしほとんど斜面の直登です。20m登るのなら大変です。木の幹や枝につかまるなどして登ってやっと上まで到達すると「史跡 春日山石窟仏 地獄谷国有林」と書いた案内看板がありました。でも石窟はどこだろう。それらしい穴は見当たらず周囲を歩き回っても見つけられません。そうこうしているうちにミキオ君も登ってきました。変だな見当たらないんだけど、と訴えてみてもミキオ君にわかるはずもなく、そんなこと訊かれてもという顔です。
 反対側の斜面を下りる細い道があったので下りてみると下は舗装されてはいないもののきちんとした道です。春日奥山ドライブウェイと呼ばれている道のようです。車は全く走ってきません。そしてやはり春日奥山石窟仏の案内看板があります。上を向いた矢印の横に50mと書いてあります。それで思い出したのが登りきる少し手前の左手に見えた屋根、なんでこんなところに・・・と思ったニワトリ小屋の屋根みたいな屋根です。もしやと思ってまた登ってそっちへ行ってみると果たしてそうでした。もうちょっとわかりやすくしておいてよ・・・。上で待っていたミキオ君はもううんざりという顔にも見えます。地獄谷で苦労したのに今度はもっとひどい目に遭わされたという心境でしょう。

石窟は頂上から少し下がったところにあって屋根と金網で保護されていました

石窟仏
 石窟を守って覆っている小屋にはまるで動物園のフェンスみたいな金網が張ってあります。金網が邪魔だし暗いので中がはっきり見えません。がっかり・・・。石窟は左右に分かれているようでした。左は神将像と複数の如来坐像で右は如来かお地蔵さんの立像がいくつか並んでいます。いずれもかなり崩れていてなかにはまったく判別できないほどになっているものもあります。神将像は多聞天だといいます。そう言われてみればそうかな・・・です。その横の如来坐像は阿弥陀如来のようにも見えます。二十余体もあるというのですが見えていたのはそれだけでした。保護が必要な史蹟であり金網で守るのは致し方のないことだと解っていても、ここまで苦労して登ってきたのに・・・、という思いは否めません。

左側の石窟 左端が多聞天像 まん中は阿弥陀如来か 藤原時代
右側の石窟 脆い凝灰岩らしく石仏はかなり崩れています 藤原時代


 そして元の道へ戻るのは、急な坂の下りは上りより大変なものですがここはほとんど崖です足を滑らせればどうなるか、それは大変というよりむしろ危険でした。体を横にして木につかまりながら恐る恐る下りました。


 今回も前回同様石仏よりそこに行き着くまでの困難ばかリ書いてしまいましたがもしそれに意味や意義を見いだすなら、これが修行の場にある石仏だ、修行者が拝した石の仏様なんだよ、拝みたけばこちらもそれなりの苦労を覚悟する必要がある、ということでしょうか。いやそういうことは言えるにしても今回の滝坂の道の石仏巡りは下調べが足りなかったようです。ここまで歩いてきて出会った人は地獄谷石窟仏での二組三人だけ峠の茶屋も閉まっていました。人が多く出る季節ならあるいは途中いろいろ訊くこともできて違っていたかもしれません。しかしぼくらは人の行かないこの時期をわざわざ選んでいました。これまでの仏像巡りの旅はそれが何十年も前のことだったにしろ一度は行ったことのある場所への再訪でした。しかしこの滝坂の道はまったくの初めてでした。しかも深い山の中です。そういうことを思えばもっとよく調べておくべきでした。いずれにしても修行の場の石仏は辻のお地蔵さんを拝むようなわけにはいかないのでした。(2023年4月15日 メキラ・シンエモン)



写真:メキラ・シンエモン


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