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柳生街道 滝坂の道シリーズ

地獄谷石窟仏 滝坂の道

 ぼくは寺院のお堂に祀られている仏像より野辺の石仏に強い魅力を感じています。石そのものの風合いがいいのか、造形が素朴だからか、道端に立っているというスタイルに身近さや親しみを感じるのか、生き物ではない冷たい石のほのぼのとした暖かさに心が癒されます。
 円成寺の拝観を終えてこれから石仏巡りに滝坂の道へと入りますが石仏巡りは円成寺の境内からもう始まっていて本堂の横にとてもいい感じの石仏が3体並んでいるので見逃さないようにしないといけません。

円成寺本堂横の石仏 室町時代


滝坂の道
 来たときは東門から入りましたが出るときは拝観受付からまっすぐ下りて石段を上がって外へ出ました。振り返れば忍辱山円成寺と刻んだ石柱が立っています。道路を向こう側へ渡ると広い駐車場でした。で、どっちへ行けばいいの、とミキオ君が尋ねます。はて、どっちだろう、東門が向こうでバスはこの道をこっちから来たのだから地図によるとこっちか・・・、今午後1時10分か、太陽はあそこだから西はこっちで・・・、そう言えば一緒にバスを降りたリュックの男性はこっちへ歩いて行った、あの人はそうか・・・石仏巡り、うん、こっちだ、とブツブツ言っているぼくの横でしっかりしてよと顔には出さずとも不安げな気を発しているミキオ君をその場にそのままにして一人で歩きはじめるとすぐに案内図の立て看板がありました。こっちだよ、こっち、とミキオ君を呼びました。

滝坂の道 円成寺側の入り口

 石畳の緩い坂を上がるとすぐに墓地です。円成寺の墓地のようです。入口に六地蔵の石仏があって墓地の定番ですがここの六地蔵はなかなか味わいがあります。小さな仏さんを三段にかさねて彫った石板もありました。道を挟んでその向かいに腰掛があったのでぼくらはバスに乗る前にコンビニで買ったおにぎりを食べることにしました。当尾以来、野外でおにぎり、が当たり前になっています。腹ごしらえをしたら出発です。これから東海自然歩道と記した道しるべを頼りに峠の茶屋まで山道をひたすら歩くことになります。

峠の茶屋
 峠の茶屋というのは石切峠というところにあるちょっと大きな茶店です。大昔からあるようです。でも今日は開いているのか閉まっているのか大きな2台の縁台は起こして立て掛けてあって入口の戸は開いていますが中は真っ暗です。ここまであちらこちらにきれいに咲くフジツツジの薄いピンクの花を眺めて歩いてきましたがだれにも会っていません。人通りがないなら店を開けても無意味でしょう。

 この峠の茶屋までは途中に石仏がないわけではありませんがここから先がぼくらの石仏巡りです。ここまで1時間半近く掛かっています。舗装されていない道は思ったより歩きにくく途中写真も撮るので時間が掛かりました。この先も同じでしょう。あと三時間のうちに近鉄奈良まで歩いて戻らねばなりません。それで観るべき石仏を選びます。北の芳山(ほやま)二尊石仏と南の地獄谷石窟仏のどっちを観るかです。どちらもコースから外れて片道20分ほど掛かるらしい山道を往復しないといけません。どっちに行くかその分かれ目、分岐点が峠の茶屋でした。ミキオ君はぼくに任せると言います。

地獄谷石窟仏
 ぼくは地獄谷石窟仏を選びました。円成寺にあった自由に持っていける地図とネットで探して印刷してきた案内図を見ながら地獄谷石窟仏と書いて矢印のある道端の道しるべを頼りにしますが、この道でいいのかと不安になるほどコースを外れていきます。かなり歩いて地獄谷石窟仏と書いた案内看板を見たときはホッとしました。が、今度は「この先は倒木で通れません」という看板があって、えええっ、と思って続きを読むと「地獄谷石窟仏までは行けます」と書いてありました。ならいいじゃない、そこから先なんてだれが行くんだ、でも本当に行けるのかしら。ちょっと不安になります。

 坂道を登って行くとしばらく行ったところで上から男性がひとり下りてきました。はじめて人に出会った。こんにちはまだ先ですか。こんにちはもうすぐですよ。ああ地獄に仏、とまでは思いませんでしたがこの会話には元気がでました。いや、やっぱり地獄に仏でした。バスが同じだった人かもしれません。芳山二尊石仏も観てきていたとすればここで出会っても不思議はありません。それとも1時間後のバスで来たのか。あるいは奈良公園から歩いて来ていたのか。確かめることはしませんでした。

 漸く辿り着くと左に鉄の格子門と金網に守られた石窟がありました。峠の茶屋から30分掛かっていました。左右の門にはそれぞれ真ん中に四角い窓が作ってあって中がよく見えるよう配慮がしてあります。右には川床みたいに板を敷いてイスとテーブルを置いた休憩所が作ってあるのは感心です。そして前方は大木が倒れていてなるほど先には行けないようでした。ちなみにこの石窟は聖人窟とも呼ばれていてこの辺りは修行の場だったといいます。石仏が多いのもそのためのようです。

地獄谷石窟(聖人窟)

三体の線刻磨崖仏
 石窟には線刻の磨崖仏が三体収まっていました。全部で七体あるそうですが残りは横の壁にあるらしくこの角度からはよく見えません。奥にあってよく見えている三体は真ん中に大きいのと左右にそれぞれ小さいのです。真ん中と左は如来像で真ん中は盧舎那仏あるいは釈迦如来だといい左は薬師如来だそうです。右は十一面観音です。十一面観音は間違いないようですが如来像はどうでしょう。真ん中は接地印がはっきりわかりますが、薬師はちょっと・・・区別できるほどはっきりは見えません。彩色の痕が残っていて山中の磨崖仏にしては豪華です。直接岩肌に彫ったものではなさそうでそれぞれ別の石に彫った磨崖仏が大きな岩に嵌め込んであるようでした。観る価値はある石仏ですが、ここまで来てとなると・・・人によるかもしれません。ぼくはちょっと微妙でした。芳山にしておけば良かったとは思わなかったと言えばうそになります。ミキオ君はたぶんもっと・・・だったと思います。

地獄谷石窟仏 奥の三体 天平時代

 10分ほど滞在して引き返そうとすると下から壮年男女のカップルが登ってきました。今日の二人目と三人目です。こんにちは。こんにちは。あっ、忘れ物です。ああそれはぼくらが来たときにもうそこにあったんですよ。犬の散歩に携帯するような小さな手提げがイスに置いてありました。先の男性のものでもなかったでしょう。これ以降奈良市内の高畑まで滝坂の道で人に出会うことはありませんでした。


 次は春日奥山石窟仏です。石窟の中に何体もの石仏が残っています。写真で見たことがあって是非観ておきたい石仏群でした。期待して先を急ぎます。地獄谷よりもっと大変なことになるとも知らないで・・・。(2023年4月12日 メキラ・シンエモン)



写真:メキラ・シンエモン


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