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柳生街道 滝坂の道シリーズ

運慶の記念仏 大日如来坐像 円成寺

 昨年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出てきた運慶は、あれは違いますね。あのような品のない激情型の人ではなかったことは円成寺の大日如来坐像を見ればわかります。運慶の仏像は写実的で美しい。天部像なんて仏像であることを忘れてしまいます。彫刻の表現は理想の造形を追求して確かに革新的だと思いますがそれは彫刻に関してだけで生き方や価値観にまでそれが及んでいたとは思いません。運慶は芸術家ではなく仏師という職人で、なにより彫ることが好きでした。


相應院
 コロナが入って来る前年に円成寺へ紅葉狩りに来ていたというミキオ君に先導されて最近建てられたらしい収蔵庫相應院(そうおういん)へ入ります。若き日の運慶が彫った大日如来坐像のみを安置します。これはいい。ぼくは嬉しくなりました。というのも実はこうなっていたとは知らなかったんです。というのはぼくが円成寺を訪れるのは45年ぶりのことで昔来たとき当時はまだ重要文化財だった大日如来坐像は本堂のなかにほかの仏像と一緒に並べて安置されていて間近で見ることができたのが、10年以上前になにかのTV番組で近年再建された多宝塔に本尊として恭しく安置されているのを見て鑑賞目的で拝観するには不便なことになってしまったと思っていたのです。相変わらずの事前の下調べをしない仏像巡りですがかつて訪れたことがある寺の再訪ならその方がその間の変化を驚くという楽しみがあるからいいのだと言えば弁解あるいは負け惜しみに聞こえるでしょう。では多宝塔の今のご本尊はというと後で覗いてみたら金色に光り輝く新品の大日如来坐像でした。円成寺の多宝塔と大日如来坐像は元々セットとして造られたものだったというから再建の多宝塔に新造のご本尊は相応しく思えます。ちなみにこのお堂と仏像のセットを造らせたのは、どういういきさつだったのかは知りませんが、後鳥羽上皇だったようです。妙な組み合わせです。運慶と後鳥羽上皇のことではありません。浄土教の阿弥陀堂と密教の多宝塔のことです。円成寺というのはどういうお寺なんでしょう。

円成寺 本堂から見た楼門と多宝塔

青年運慶の大日如来坐像
 運慶作の大日如来坐像は垂直に立てた左手の人差指を右手の五指で握る智拳印(ちけんいん)を結んだ普通によくある金剛界の大日如来坐像ですがその顔はほかとは異なり初々しく青年のようです。運慶25歳のときの作だといいますが青年運慶はこの像を彫るのが嬉しくてうれしくてたまらなかったに違いありません。そんな気分が感じられます。そしてそのころの仏師がそうすることはなかったという署名を台座の裏に残しました。ぼくは台座裏の自書は記念の署名だと考えます。それでこの大日如来坐像はそのときの運慶その人をそのまま写しているようにぼくには思えます。すなわち運慶は金剛界の大日如来を自分自身の姿に彫ったんだと思うのです。つまり大日如来は宇宙の中心仏ですがそれを菩薩から如来になったばかりの初々しい新米如来の姿に表現して仏師として独り立ちしたばかりの自分自身に重ね合わせて彫った。大日如来は両部曼荼羅の金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅ではその印が異なりますがそれはその表す世界が異なるからで、すなわち金剛界曼荼羅は大日如来の内面の働きを描いた世界で胎蔵曼荼羅は大日如来が中心から外に向かい諸仏へと展開する世界を表します。それで仏像に造る大日如来はほとんどが智拳印を結ぶ金剛界の大日如来です。青年運慶は、自分は一番になる、と決意を込めてこの円成寺の大日如来坐像を彫り台座の裏にサインしてその誓を宣言しました。円成寺の大日如来坐像はそんな運慶の記念碑的仏像だとぼくにはそう思えます。


 現在の円成寺は真言宗のお寺です。元々浄土教のお寺だったようですが密教のお寺になっても本尊は阿弥陀如来のままという神仏習合ならぬ顕密習合です。本堂では念仏を多宝塔では真言を唱えているんでしょうか。創建についてもはっきりしないらしく奈良時代とも平安時代ともいわれていて細かいことには拘らないみたいです。お陰でぼくらは美しい浄土庭園付き阿弥陀堂の阿弥陀如来坐像と青年運慶の大日如来坐像の両方を同時に拝観することができます。(2023年4月10日 メキラ・シンエモン)

次回は滝坂の道の石仏、地獄谷石窟仏と春日奥山石窟仏です。



写真:メキラ・シンエモン


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