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庭の二羽のキジバト 旅立ち

 前回の記事「庭の二羽のキジバト 鳩の子ども」をサーバーに転送し終えたのは早朝漸く外が明るくなってきたころでした。二階にある自分の部屋の窓を開け空気を入れ替えたついでに前庭の松を見下ろすと、あっ、うっそだろ、三日前から姿を消していたキジバトの兄弟が並んで枝に止まっていました。驚いたり嬉しかったりでカメラを携えて興奮気味に階段を駆け降りると応接間へ飛び込んでガラス戸越しに見上げれば懐かしい顔がこっちを振り向きます。鳩の見返り美人。二羽の兄弟はどこか心なし大人っぽくなっているように見えました。ぼくは自分の部屋に戻りアップしたばかりのページの日付の下に「三日後、キジバトの兄弟が帰ってきました。顔つきが心なし大人っぽくなっていました。」と書き加えて再び転送しました。



帰って来た兄弟
 午後2時ごろ外出から帰って来て前庭の松を見上げるとキジバト兄弟の姿はありません。行っちゃったのか。肩を落としましたが、頭を垂れた視線の先、松の根元の地面を覆う苔の上に一羽がいました。近くで見ると親と変わらないほどまでに大きくなっていてもう幼鳥ではなくて若鳥、いや若鳩です。ぼくに気付いているようですが逃げません。

 急いで家に入ってカメラを持って出てくるとまだそこにいましたが、すぐにトコトコと苔の上を歩き出して松とキンモクセイの間に植えてあるヒイラギの前まで行って止まりました。こっちを見ている。ぼくが近づこうとするとまたトコトコ歩きはじめます。警戒している。ぼくが追いつこうとちょっと早足になると気配でわかるのか鳩は振り向きもせずに同じようにちょっと早足になって、でも飛び立つことはなくそのままトコトコ歩いていきます。警戒しているんじゃなくて、ついて来いと言っているみたいです。歩いて行くその先、前庭が終わって母屋から張り出した車庫の外壁の手前、黄色の花が咲き始めたばかりのツヤブキ(ツワブキ)とヤマブキの間にもう一羽がいました。早く来いよ、と弟を待っているようでした。
 どうしてトコトコ歩いているのが弟だとわかったのかって、それは松の根元にいてぼくを待っていたからです。なんのこと、それじゃ説明にならない。はい、ごもっとも。でも雛のときから、いや、卵のときから見てきたぼくにはそう思えてならないんです。母鳩が1個ずつ二日かけて産んだらしい2個の卵はほぼ同時に孵ったようですがやはり兄弟の順序はあったんだと思います。兄弟というのは兄の方が弟より慎重で心配性です。弟は冒険的でどこか無警戒。きっと鳩も同じで、だとすると、ぼくが最初に見た巣の上の雛は外から見える側にいた弟で、爾来ぼくが度々見上げるもんだから顔を憶えたのに違いありません。それに対して兄の方は巣の奥の方にいて弟のうしろだったから大きくなるまでぼくを見ることがあまりなかったのならその分ぼくに馴れてはいないでしょう。それはわかったけど弟じゃなくて妹かもしれない、さっき見返り美人と言っていたじゃない、というんですか、あれはその・・・言葉の綾というもんです。

 弟が兄と合流して二羽は一緒にヤマブキの後ろに生える紫陽花の陰に入ってしまいました。いなかった三日間でやっぱり警戒することを憶えたのかな、と思うとそうとも言えないみたいで、紫陽花の陰でじっとしているということはなくて生垣の土台のコンクリート枠の上にあがると歩道の側に出てしまいました。歩道には下りませんがウロウロしています。ぼくも歩道へ回って兄弟の方へ近づいて行きますが、今度はトコトコ歩きだすことはなくそのままその場にいます。ぼくがすぐそばまで行ってもじっとしていて片方はぼくの方を見ています。こっちが弟だ。なかなかの面構えです。ゆっくりカメラを構えてカシャ。するともう片方が兄ですが、横を向いて恥ずかしそうにしているから間違いありません。こちらもカシャ。

 キジバトの若い兄弟はともにもう成鳥並みの大きさになっていて翼の寄せる波のような模様がきれいで卵から孵ってまだ半月余りとは思えないほどですが、産毛が少し残っていて頭もまだちょっと小さくて頂部に窪みがあるし目の縁の赤色ははっきりしません。なにより特徴的な首の鱗状の縞模様が現れていませんでした。ぼくが写真を撮り終わると二羽はすぐに後ろに下がり、また紫陽花の陰に入りました。さては写真を撮って欲しかったのか。

猫はこたつでは鳩は松で
 しばらく経って応接間から前庭を見るとどこにも二羽はいませんでした。やっぱり帰って来たんじゃなくてちょっと寄ってみただけか。でもがっかりはしません。あんなに大きくなってしまえばもう生まれ育った我家の前庭の松に拠る必要はありません。普通ならもうとっくに巣立ちしています。まだいる方がむしろおかしい。
 夕方、もうすぐ日が沈むかというころ、出掛けるために外に出ると気温は下がって寒く感じるほどです。習慣みたいになっているから前庭の松を見上げると、ああっ、いる、ほんとに度々びっくりさせてくれる兄弟です。首をすくめ毛糸の玉みたいに縮こまり兄弟が体を寄せ合ってピッタリくっついて一番手前の枝に止まっていました。そばにいた女房が、あら、かわいい、寒いみたいね、丸くなっている、と言います。猫はこたつで丸くなり鳩は松で丸くなる・・・か。

 翌朝もキジバトの若い兄弟は前庭を歩いていました。ゆうべはこっちに泊まったみたいです。さかんに地面を嘴で突っついています。朝ごはん。キジバトは果実や種を主食としながら昆虫やミミズも食べる雑食だそうですが苔の間に餌になるものがあるんでしょう。ここに居着くつもりかな、まさか、でも是非そうしたいと言うのなら・・・それでもいいけど・・・。

旅立った兄弟
 次の日の朝、松にも苔の上にも、前庭に若鳩の兄弟の姿はありませんでした。実はきのうの午後から兄弟はいなくなっていました。もう旅立ったのかもしれません。旅立ちと言ってもキジバトは留鳥だから遠くに行くことはありません。近くにいるはずです。だからその意味は心の旅立ちです。キジバトは神社の境内にいるドバトとは違って群れを作りません。2羽が一緒にいればそれは夫婦で夫婦仲はいたって良いといいます。我が家の前庭で生まれ育った兄弟もいずれすぐにバラバラになってそれぞれにパートナーを見つけるのでしょう。生まれて半年で繁殖するようになるといいます。キジバトの寿命は2年から20年だそうです。随分幅があるのは野生だからです。つまり病気にもなれば事故にも遭うし飢えて死ぬこともある。考えてみれば生き物は、人も含めて、みんなそうです。その意味では平均寿命など個体にはたいした意味がありません。自分が何年生きられるのかはだれも知らないのです。だから命は大切なんだし、一所懸命に悔いることのない生き方をしないといけない。それはみんなも知らないんじゃない、よくわかっているんだけどなかなか・・・。
 ぼくは途中になっていた松の剪定を終わらせることにしました。昼までにかなりの枝を伐ると女房が見て、すっきりしたけど、ちょっと伐り過ぎたんじゃない、と言います。でもぼくはもっと伐りたいくらいでした。しかし鳩が身を隠すことはもうできなくなりました。キジバトにも鳩特有の帰巣本能があるそうですが子育てにもう安全ではなくなった松の木には巣はかけないでしょう。それを意図したわけではないから、それでもやって来るなら歓迎します。すっかりすっきりした松の木に触らないで残したキジバトの巣が目立っていました。


 作業を終えて脚立を片付けていると道を挟んだ向かいの高校の校庭に生える木にキジバトが来たのが見えました。尾羽の白色でキジバトだとわかります。すぐに葉の陰に消えてしまいましたが目を凝らしてよく見ると、かすかにわかるシルエットは二羽です。黄色く色づきはじめた葉と葉の隙間からこっちを窺っているみたいです。親鳩だろうか兄弟だろうか、シルエットからはわかりません。兄弟ならよそへ行ってしまう前に、もう戻ることのないであろう自分たちが生まれ育った松の木をもう一度見たくなってやって来たのでしょうか、これが最後と。それからはキジバトを我家の前庭で見ることはありません。(2022年10月31日 メキラ・シンエモン)




写真撮影:メキラ・シンエモン



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