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佐保路シリーズII

転害門 東大寺の忘れられた天平建築

 東大寺で創建時から残る建物はどれか知っているよね、と仏像初心者のあなたに偉そうに訊く失礼な人がいて、それでも素直なあなたはムッとすることもなく、三月堂つまり法華堂です、と答えたとします・・・それは正解でしょうか。法華堂は天平時代の正堂(しょうどう)と鎌倉時代に追加された礼堂(らいどう)の、その巧みな連結による異なる建築様式の調和した姿が絶賛されています。古代人の設計センスの良さと建築技術の高さの証明。ということだから正解なんですが法華堂は創建時そのままの姿ではありません。では東大寺に創建時そのままに残る建物があるのかというと・・・西の門である転害門という門が唯一残っています。国宝です。転害門は「てがいもん」と読みます。転害とはまた変わった名前を門につけたもんです。ではその意味はというと・・・諸説ありますがどれもこれも説得力に欠けるようです。ということもあってかどうなのか、別に佐保路門とも呼ばれています。こちらの意味は明快でした。


2年ぶりの佐保路
 おととし秋の意に反して途中で終わってしまった佐保路仏像巡りの、その続きを梅雨に入る前にやろうと俄かに思い立ち、おととしのそしていつもの同伴者であるミキオ君を誘って出かけました。5月も三分の二を過ぎようとするあたりの平日、太陽がぼんやり透けて見える薄い雲が朝から全天を覆っていました。

 佐保路(さほじ)は聖武天皇陵のある奈良市北部の佐保山と呼ばれている丘陵の南麓一帯を指しますが東から西へ、般若寺、不退寺、法華寺、秋篠寺、西大寺といった古刹が密集することなくぽつりぽつりと緩やかに散らばっています。そんな佐保路の仏像巡りは体力さえあれば歩いてまわるのがもっとも効率的で安上がりです。東大寺と平城宮を結ぶように東西にのびる一条通りという奈良時代からの幹線道路を歩くのですがその起点が転害門です。佐保路に向いている門だから転害門の別名は佐保路門。

一条通りから見た転害門


東大寺の忘れられた門
 転害門は東大寺の忘れられた門です。すぐそばで観れば堂々とした門で太い注連縄(しめなわ)がなかなかの貫禄です。それがすこし引いたところから点景として眺めれば浜に打ち上げられたクジラのようにそこにあるのは不思議ではなかったとしてもあってはいけないものに見えてしまいます。この辺りは「きたまち」と呼ばれていますがその景観は中心部の「ならまち」のように古都奈良の気分を感じさせるということがありません。全国の地方都市で普通に見るどこかしょんぼりとして寂しい街並み。そのせいなんでしょう、ぼくには東大寺の門には見えないのです。視線を内に移して門から境内を覗けばそこが東大寺だと感じさせるものはなにもなく、そこに見えているのはただ大寺の参道です。車が停めてあるし向こうからこっちを見ている観光客と思しき人までいてはますますもって興覚めです。そう言えば鹿の姿も見えません。鹿せんべいを売っている店がないからね・・・。東大寺に唯一ほぼ創建時の姿のままに残る天平建築の立派な門は東大寺から切り離されたかのようにひとり忘れられて建っていました。

転害門から覗いた東大寺境内 般若寺への道 右の白い建物が観光案内所



奈良市きたまち転害門観光案内所
 転害門のすぐ横に観光案内所がありました。町屋風の建物で割と最近できたみたいです。テーブルやイスもあって休憩ができるしトイレも付いています。こういうところにはきっとボランティアのお年寄りがいます。たいていは愛想よく親しみやすく話し好き。ここもまたそうで男女ひとりずつふたりのお年寄りがニコニコしてぼくらを歓迎してくれました。老婦人がすぐに、まあお疲れ様どこを観て来られました、と驚いたように訊いてきます。ぼくらは汗をかいていたし飛び込むようにして入ってきたときやれやれ助かったという顔だったんでしょう。それからいろいろ話して興が乗ってくると、どこから来られました、奈良に住んだことがおありのようですね、とちょっと立ち入った話になって、金沢です、航空自衛隊の幹部候補生学校に入っていたんです、などと正直に言いましたが老婦人は金沢はともかく航空自衛隊がよくわからないという顔だったのは別に失望するほどのことでもなくそうだろうなと思ったのでした。法華寺の近くに自衛隊基地があることは知っていてもそれが航空自衛隊だと知る人は少ないはずです。飛行場はないんだから・・・。
 それにしてもメジャーな観光スポットでもなく街歩きの観光客の往来もないところに観光案内所かと不審に思ったら、わざわざ建てたわけではなく元は銀行で南都銀行手貝支店の建物だったそうです。ちなみに手貝は「てがい」と読みます。住所が手貝町(てがいちょう)なんです。転害が手貝になったと簡単に想像できます。それはともかく、ぼくらにはありがたい観光案内所でした。ここに辿り着くまで2時間ほど休憩なしでした。

 おととしの続きの佐保路仏像巡りは不退寺から再開していました。2年前は西大寺と秋篠寺だけ観て終わっていたから再開は順序から言えば法華寺と隣接する海龍王寺になるはずですがわけあってこの二寺はネグったんです。近鉄新大宮駅からスタートして不退寺へそして懐かしい宇和奈辺(うわなべ)古墳をちょっと眺めてから転害門へと歩いてきたので、その距離はあわせると5キロかあるいはもっとになっていました。観光案内所で暫く休んでいるあいだほかに入ってくる人もなく十分休めたぼくらは外へ出ると般若寺に向けて門前の道を北へと歩きはじめました。えっ、宇和奈辺古墳が懐かしいってなんのことかって、・・・。


 この回からしばらくは佐保路の仏像巡りを書こうと思います。2年前の続きだからPART2あるいは第二章といったところですが、最初に訪れていた不退寺を飛ばして先に転害門のことを書いたのにはこれといった意味はなくなんとなくそうしたかっただけです。強いて言えば初めに旅の気分を記(しる)しておきたかったという衝動でしょうか。そもそも「通りがかりの者です」は小さな旅の中での忘れたくない遭遇あるいは偶然の記録でした。
 さて、次回は不退寺です。業平の寺でリボン観音と南都では珍しい五大明王を拝観します。(2022年5月25日 メキラ・シンエモン)

次は今回一番目のお寺不退寺です。


写真:メキラ・シンエモン


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