補 足   白鷹の即身仏

二体の即身仏

 白鷹の蔵高院で光明海上人の即身仏を見た翌日、金沢への帰りに酒田市へ寄る用事がありました。置賜から酒田市へは月山の西麓を越えて行きます。つまり、湯殿山のそばを通って行くのですが、湯殿山の近くに即身仏を安置した大日坊というお寺があることを以前から知っていました。(ほかに注連寺、本明寺があることをあとで知りました。)それで、せっかくだから大日坊へ行ってみたいと思いましたが時間の余裕がありませんでした。ところが、酒田の知り合いの人に白鷹で即身仏を見てきたことを話したら、市内の海向寺(かいこうじ)というお寺にも即身仏を安置してあると教えられました。場所は酒田港近くの日和山公園という公園のすぐ横で、時間の都合がついたので行ってみることにしました。

 行ったのが9時半過ぎでちょっと早かったためか受付のガラス戸が閉まっていました。御用の方はインターホンでと書いて貼ってあったので、その通りにして中へ入れてもらいました。(ここの拝観料は400円でした。)
 二体の即身仏は大きさの違う二つの厨子に一体ずつ入れて安置してありました。やはり厨子は三方がガラスになっています。大きい方の厨子に入っているのは、この寺の中興の一代目住職だったという江戸中期に入定した忠海上人(ちゅうかいしょうにん)というお坊さんで、もう一体は、それから70年ほどあとの九代目住職だったという江戸後期に入定した円明海上人(えんみょうかいしょうにん)というお坊さんでした。
 忠海上人は元は庄内藩の武士だったそうで、いかにも武士であったらしい細面の顔は憂いを含んだような表情をしています。もう一人の円明海上人はお百姓の出だったということですが、ミイラになってもまあるい顔をしていて、誰かに何か話し掛けているように口を尖らして小さく開けています。
 どちらも見事に完全なミイラで体は少しうつむき加減に前傾しています。表面に膠が塗ってあるようで衣から出ている顔や手足は飴色に光っていますが、たった今土中から掘り出されたような生々しい姿です。しかし、気味が悪いという感じは微塵も受けません。やはり感動的でした。
 また、この寺の八代目の住職だった鉄門海上人(てつもんかいしょうにん)というお坊さんの即身仏が、湯殿山の注連寺(ちゅうれんじ)というお寺に安置されているそうで、こちらにはその生前の姿を描いたという絵が壁に掲げてありました。鉄門海上人は、元は無頼の徒で遊女をめぐって武士と喧嘩をし、その相手を殺してしまったため捕縛から逃れようと湯殿山仙人沢の行者となりますが、そののち衆生救済に尽力し、最後は注連寺で入定したという劇的な生涯を送った人だったそうです。絵を見ると、その人柄を連想させるちょっととぼけた感じの親しみのある顔をしていました。(メキラ・シンエモン)


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