参 考
即身仏
即身仏とは衆生救済を願い、厳しい修行のすえ自らの肉体をミイラにして残したお坊さんのことです。即身仏と似た言葉に即身成仏がありますが、この二つは意味がまったく違います。
この即身仏になるための修行というのは、木食修行(もくじきしゅぎょう)と土中入定(どちゅうにゅうじょう)という二段階になっています。木食修行は土中入定のための準備のようなもので、米や麦などの五穀、十穀を断って木の実などで命を繋ぎながら体の脂肪や水分などを落としていき、ほとんど即身仏そのものの状態にまで体を作っていくという大変な荒行なんだそうです。
木食修行を終えると土中入定ということをします。これは地面に深さ3メートルほどの穴を掘ってそこに石室(いしむろ)を築き、更にそこへ呼吸のために節を抜いた竹筒の先が地上に出るようになっている木棺を入れ、その中に生きたままで入って埋められます。行者はその中で断食をしながら鐘を鳴らしてお経を読み続けます。
その鐘の音が地上の人に聞こえなくなると、息が絶えたということで一旦掘り出され、すぐにまた埋められます。そうして1000日後(3年3ヶ月後とも)に再び掘り出されると、それだけであとは何もしなくてもちゃんとミイラになっているんだそうです。このようにして即身仏になりました。考えれば考えるほど凄まじいものです。
しかし、これは、行者が自分のために即身仏となるというのではなくて、それまで衆生救済のために色々と活動してきたお坊さんが、最後に死んだ後も衆生救済に尽くすことを願って即身仏になるということです。
即身仏になった行者は江戸時代に特徴的に多かったようで、特に湯殿山(月山の南西側の中腹)の仙人沢というところで多数の行者が修行したそうです。しかし、土中入定すると三年間も地下に埋められているわけで、中には土中に埋められたまま二度と掘り出されることのなかった行者も数多くいたようです。
現在、全国に16体(あるいは20数体とも)の即身仏が奉られているそうですが、湯殿山のある山形県にはそのうちの8体が庄内地方から置賜地方にかけての7ヶ個所(6ヶ寺、1個人宅)に奉られているそうです。(メキラ・シンエモン)
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