戦う39歳 ※2000年現在
津幡 倶利加羅の古戦場に散る!

「石川オープン2000(JOP大会)挑戦記 」
            田中 誠(プラネッツ)
何を血迷ったか!
シングルスの3セットである。
だいたい君!3セットなんて年に何回やるの?
テニスの仏様もそう笑っていることでしょう。いや、ごもっとも!ごもっとも!
何せ39歳、練習も付け焼き刃である。コートカバーはほとんどできない。 あっという間に息もあがる。やけくそに なって前に出れば、足がもつれてネットまで行けないからパッシングで抜かれる・・・
それがまた何でJOP一般大会に?
ひとつは、野次馬根性。そして何よりの理由は、石川県で初めて開催かれたことを勝手に運命と思い込んだ事にほかならない。

いよいよ試合当日!
勝ったら2回戦は明日になるとの事だが謙虚な性格ゆえ、そんなこと考えもしない。
相手はと言えばJOPランキング310位神田寛之選手。つまり日本の310番目である。
帰りの燃料もないのに出港した戦艦大和の心境でいざ、5番コートへ向かう・・・
コート前に若者が立っている。おそらく神田選手に違いないが、一応確認することにした。「どちらさんですか?」と聞くつもりが、緊張していたのだろう「何様ですか?」 と言ってしまった。なさけないぞ39歳!
3番コートでは地元選手が30分位で終わってしまった。1番コートでは45分位・・・なにやらスモグリの時間くらべ大会のようになってきた。地元選手が何分で終わるか語られている中、最年長選手の中島章蔵さんが、JOPランキング193位の大川選手を相手に、もうかれこれ1時間半近く頑張っている。
頑張れショウちゃん!戦う41歳かっこいいぞ!

さて、
今回の作戦はこうだ!
てきとうにノラリクラリと左右にボールをちらした後、敵の自滅でポイントを稼ぐ。
例によってスローな球ひろいでスタミナ温存。
ハッキリ言って、こころざしの低い戦法このうえない

試合前の練習がはじまる。5分が淡々と進む。あきらかに神田選手、練習不足ぎみである。後で聞いた話だが、徹夜で運転してきて到着したばかりだったとの事。かこくな職業である。

試合は立ち上がりからドロップショットの雨あられ。コートカバーの悪さを見すかされてしまったようだ。
それならば、と「ジジごろし返し」 で応酬。(関西ではドロップショットをジジごろしと言う)
ドロップショットの打ち合いなら、神田選手がまだ永久歯がはえて無いころからの得意技である。
戦う39歳!はぐらかすのはお手のものなのだ。
余談だが、この39歳。小学5年生までA久歯の後にB久歯がはえてくると思っていたから学がない。

試合は、とうていJOP一般大会本戦らしくないチビリ合いと発展。
ノラリクラリとゲームを確保し3-2と善戦。
しかし、ここまでであった。
ファーストセット2-6。

目がさめてきたか神田選手!

バックラインあたりからエースを連発。サービスもフラットが入り出して軽くキープ。
かっこいいぞ神田君!

こちらはと言えば、まるで露順攻略に挑む日本兵のように重い足取りでチェンジコート。
そしてまた、着々とゲームを落としてセカンドセット0−5。

しかし、土壇場でドラマが起きた!

強烈なアプローチを打って前につめて来た神田選手に対して、ひん死の39歳が最後のアクセルふかしてフルスイングしたパッシングショットが、見事に決まって1ポイントゲット。
戦う39歳、最後にみせた小さな抵抗であった。
ギャラリーからパラパラと初めて拍手が聞こえる。
見ると福井県の浅岡選手である。なんだ身内か・・・
でも、うれしいぞ浅岡君! お前もがんばれよ!

しかしながら、抜かれた神田選手が「アッ!」 と言ったのはわかるが、パスを抜いた自分自信が思わず「アレ!」と声を出したのはなさけない・・・。

戦いは終わった!
本部役員のみなさんありがとう。参加できた喜びをかみしめ浅岡選手と夕食を共に食べ帰宅した。

後日、辰田さん(知る人ぞ知る)に報告すれば、
「まあ、経験できただけでも良かったんじゃな〜い」とありがたいひとこと・・・

ごもっとも!ごもっとも!